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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

オニ
1992年 福井県
府中の東野佐治右衛門家では、節分の夜に追われてきた鬼を迎え入れ、宿をさせてもらうと言う。

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オニ
1981年 東京都
節分の夜、小川家では他家から逃げ出してきた鬼を迎え入れ、赤飯を炊き、酒を供えて静かにもてなす。
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オンリョウ
2000年
高野新右衛門がよしという下女を孕ませ,堕胎薬を飲ませて死に追いやった。よしは胎児の怨念と共に怨霊となって新右衛門に祟ったが,祐天が新右衛門に念仏を勧め,あつく弔うとよしは成仏した。
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ハハノウラミ
1976年 岐阜県
実右衛門という無頼がおり、母親に不孝な行為を行っていた。後に母が死んだので火葬したが、片腕だけ焼けずに残ったので、人に見られるのを厭い、持ち帰り、後日に川にでも流そうとした。その夜、実右衛門は腕が蛇になり襲ってくると叫び、狂乱した。その後毎夜続くので、村の人が協議して村中3ヶ寺の僧に阿弥陀経を誦させたところ、その夜から止まった。実右衛門は懺悔し僧になった。
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オニ
1972年 三重県
節分の夜に出歩くと鬼に遭う。
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ネコ
1931年 福島県
穴沢善右衛門が小屋に泊ったとき、姥に化けた巨猫がやってきたが、正体を見破りこれを斬った。次の日、善右衛門の妻が噛み裂かれて木にかけられていた。そばにいた樵夫がいたが、それは斬った猫の夫で、復讐のために善右衛門の妻を殺したのだとい、善右衛門の妻の死骸を咥えて去っていた。善右衛門は郎党を引き連れて山狩りを行い、洞穴の中で怪猫を見つけてこれを殺したといわれている。
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リュウ,(イキリョウ)
1980年
ある人が龍右衛門という名前に変えたところ、小笠原平太夫という人物がこれを聞いて、龍右衛門は夏のうちに死ぬだろう予言した。実際龍右衛門は6月に死んだ。なぜかを聞くと、龍は霊物であり、徳のない人間が名乗ってはならないという。また今年の盆には生霊となるだろうと言った。
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オニ
1988年 茨城県
宿集落の後藤姓の家は節分に豆を撒かない。先祖が鬼に助けられたことがあるからだと言う。
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カッパ
1982年 群馬県
太郎右衛門渕にはカッパの伝説がある。
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オニ
1981年 東京都
植竹家の台所には「鬼の宿の神様」という神棚があり、空の黒い厨子が置かれている。節分の夜、鬼が逃げてきてこの厨子の中に隠れている、と考えられている。
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ハヤリヤマイ,アクマ,オニ
1986年 長野県
ある時、村に流行病がはやって大勢死人がでた。そこで庄屋は、これからは自分の家を悪魔の宿として貸すから流行病を村から追い出してくれと願をかけた。そうすると流行病は一段落したという。それから庄屋の家では節分のときに豆まきをしないで、障子をあけて悪魔や鬼を迎え入れるのだという。
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オニ
1966年 新潟県
昔は鬼が正月にやってきて、12月に帰って行った。鬼が節分にやって来たとき、家の前に箕を置きっぱなしにしていたところ、鬼は逃げ帰った。以来、節分には家の入口の柱に箕や米通しを掛ける。
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ウシオニ
1985年 和歌山県
2月の節分のヒヤクの晩に牛鬼を見た。牛鬼に見られたら死ぬと言っているので、節分の晩は皆早くから戸を閉めて寝たらしい。
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クビナシウマ
1984年 愛媛県
奥の城城主河野通存は、息子の通賢が東野に住む娘の元へ通うことを快く思わず、東野で馬の首を刎ね、更に通賢をも殺害した。以来、毎夜首なし馬が現れるようになったので、村人は祠を建てて祀った。東野でお茶屋を営む久松定行は、陰火の飛ぶのを忌んで、この故事のあることを知り奥城八幡宮を再建し、鎮魂した。これが現在の東山神社である。
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コワラワ
1981年
深夜に鷺仁右衛門が酩酊して歩いていると、7歳ほどの小童が手に火の消えた提灯をもって立っていた。仁右衛門は不憫に思い、色々してやったが童はなにも答えない。腹が立った仁右衛門は捨てて帰ったが、ふと後ろをみるとその童は両目を車輪のように見開き、その睨みに気絶しそうになったという。
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オニ
1955年 静岡県
節分の目籠にはあらゆる鬼をやどらせて、翌日川に流す。
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サウエモンノボウレイ
1991年 愛知県
女が山でおしっこをしたが、そこはちょうどお墓で佐右衛門の亡霊にとりつかれる。佐右衛門は土地を取り上げた地主に土地を返すよういう。地主は聞かず、そのため村中の子供や馬の子が死んだりして村で供養した。
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オニ
1981年 和歌山県
鬼が悪戯をして困るので、人間たちが「節分は一番静かな夜なので来てください」と言った。節分の日に鬼が来たら、軒下にジャコをハゼの木の割ったものが刺してあったり、戸口から石を投げる大きな音がしたりしたので、一番静かな日がこれでは普段はどんなに恐ろしいだろうと思い、鬼はこなくなった。
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テング,ウジガミサマ
1973年 山梨県
渡辺弥次右衛門が大和田山へスズ竹を取りに行き、その荷を背負って休んでいると後ろから何物かが来て弥次右衛門を放り投げた。弥次右衛門は倒れたまま気を失っていたが、しばらくするとまた何物かが来て引き起こしてくれた。放り投げたのは天狗で、引き起こしてくれたのは氏神様という。
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ヒトツメノオニ
1973年 香川県
節分の前の晩は戸を閉めてヤガイの餅をつくという。節分には一つ目の鬼が来るという。
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オニ
1993年 静岡県
節分の晩、子供の頭にすり鉢をかぶせる。鬼が来るからと言う。
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ホウソウガミ,オニ
1940年 石川県
富永家では節分の折「福は内鬼は内」と唱えていた。その理由は昔節分の夜に一匹の鬼が舞い込んできてから家の身代が急によくなったからだといい、また金沢大火の折に鬼形の黒い影が笠で火を防いでくれたからとも伝えている。又昔この家の主人は霞網で疱瘡真を捕らえたことがあり、この家の門をくぐると疱瘡にならぬということが明治の初年まで流行した。
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