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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

タタリ
1957年 熊本県
18代頼房が立って間もなく、祖父の頼興が死んだので、頼房の父春広の弟にあたる頼孝、頼堅、長蔵の3人が、頼房を殺して領土を3分しようとした。頼堅は敗れて殺され、頼孝はかこまれて自殺した。頼孝の霊は甚だ祟りをなした。

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レイ,ボウコン,オンネン
1975年
武蔵国多摩郡中野に陣取り、奸計により討死した平将頼の霊が戦場にとどまり人々に祟をなした。480年程の間怨念は残っていたが、延文の頃一遍上人の3代目真数坊が芝崎村に草庵をつくり供養した。後の神田橋日輪寺である。また将頼の兄将門を神にした。東国に祟をなした霊は将門ではなく将頼のようだ。
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ヤマガミョウジン
1956年 宮城県
山家清兵衛公頼は伊達家に信任され、長子秀宗の懐守役となり、元和元年(1615)秀宗が宇和島十万石の封に就くとき、付け家老として従う。公頼の忠誠は上下の信頼を集めたが、家老桜田監物がそねみ讒訴したので、秀宗は公頼の屋敷を襲って殺させる。時に元和5年(1619)6月晦、公頼は死すともこの冤を雪ぐといって死ぬ。その夜仙台城の政宗の前に血まみれの公頼の姿が現れ、冤を訴える。政宗は怒って秀宗を勘当、監物以下次々に変死する。宇和島に和霊明神を建てて祀り、仙台にも立町通東二番丁南角の山家氏邸内に山家明神を建て、毎年6月晦に祭りを行なう。公頼が蚊帳の釣り手を切り落として殺されたというので、昔この夜は蚊帳をつらなかった。
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ダイジャ
1932年 長野県
智や姿が二人の兄に勝っていた甲賀三郎頼方が、魔神にかどかわされた妻を助けるため蓼科山の岩穴に潜ったが、兄たちの陰謀で出られなくなった。岩穴の中で神の栗餅を食べて人間でなくなった頼方は、大蛇の姿となって諏訪湖へ入った。
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ハチマングウ,ハト
1937年 香川県
細川右馬頭頼之が予州の河野を攻めるとき、石清尾八幡宮に祈願すると、神殿の扉からひとつがいの山鳩が飛び出て戦い、東の山鳩が勝った。この後、頼之は四国を平定した。
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ミズノカミ,ヘビ
1991年 滋賀県
近江の南にある小野氏の古伝では、頼カゼと水の神である蛇の間にできた子がいるといわれる。
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シンラン
2001年 茨城県
建暦2年(1212)11月の吹雪の夜、2人の弟子を連れた親鸞が、宿を乞うたところ、主(日野佐衛門尉頼秋)に断られ、石を枕にして寝る。その夜、頼秋は霊夢を見、親鸞の様子を見に行くと後光が差していた。以後、仏門に帰依し自分の家を寺にした。枕石寺の由来。
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キツネ
1967年 福島県
北条時頼が松魚原に野営した時、夜中に数千匹の狐が夜営している外に集まり鳴いて何かを訴えた。時頼は「夏もきつねに鳴くせみの唐衣おのもおのもの行来を見よ」と一首詠んだところ、悲しそうに鳴いていた声はたちまち止んだ。翌朝辺りには数千匹の狐がことごとく死んでいた。この狐を埋めたのが狐塚だという。
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テング,カンゼオンノケシン
2001年 京都府
ある時、一条頼重が、願いを叶えんとすれば鞍馬の奥へ行くように言われた。言われた通り、そこにある不動堂の中に座禅して読経していたところ、天狗たちが現れた。多数の天狗に日や水で攻められたが、法師たちはそれを飛ぶ鳥となって避けた。
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エイゾンホウイン
1956年 宮城県
栄存法印は高僧として衆人の帰依が篤かったが,笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで讒訴を行い,寺領を悪田とすり替え,住民に神域を掠めさせた。遂に江ノ島に流罪された法印は,笹町家一味及び石巻湊町に対し呪詛の修法を勤行したので,湊町にはしばしば大火が起こった。但し法印を庇護してきた高橋某家のみは災いを免れた。3年後の天和元(1681)年二月,法印は「口に鰹節を挟み,湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ」という遺言を残して死ぬが,島民がこれを守らなかったところ関係者が病気となり,島に不漁や凶事が重なったため,改めて遺言通りに埋葬し供養を行った。埋葬場所は現 栄存神社。一方,笹町家では法印の呪いによって当主頼重がしばしば栄存の幽鬼に襲われ,自分の肢を斬ったり息子彦三郎安頼や妻女を斬殺したりした上,発狂した。九族も死に絶えた。享保頃(1716~36),法印の赦免を請い,霊を牧山に移して長禅寺に栄存神社として祀った。今でも旧2月6日の命日を御縁日として祭を行う。
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タロウボウテング
1972年 京都府
役小角の末裔といわれる天狗の本拠地、愛宕山奥の院で、藤原頼長の命を受けた修験者たちが太郎坊天狗の左右の目に釘を打ち込んで呪詛を行った。このため近衛天皇は眼病を患って崩御したとも伝えられている。
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カッパ
1932年 長野県
赤沼のほとりにある鍵引石の由来。昔この沼にすんで旅人に鍵引を挑んでは引きずりこむ河童を、諏訪の頼遠が負かして沼を去ることを約束させた。河童は和田の山中に一夜にしていけを作り、そこへ移ったという。
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スルスミ
1974年 静岡県
源頼朝が梶原景季に与えた磨墨という名馬は、当時の持ち主である梶原頼実が駿河の狐崎で死んだ時、その場所の笹葉を食い切って死んだという。その場所の笹葉は食いきった様に生じるという。
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(ヤブムアン)
1980年
北条時頼の時代に、藪夢庵という医者がいた。彼は異人から鍼の手ほどきを受けたといい、各地で治癒の功績があった。ある日夢庵は石に鍼を刺したところ、まるで泥に刺したように入り、石は2つに割れたという。
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オロチ
1996年 滋賀県
宇多天皇の時、湖国の岡嶋渡合橋上にて夜頃に「変化ノ物」が現れ、人を悩ました。目は照り輝き、4眼あり、これを見た人は心を失い、病気になった。佐々木(源)成頼はこの変化の物を射落とした。4眼と思ったのは目が水に映って見えていたもので、怪物は大蛇であった。
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トビゼニ
1956年 宮城県
元禄2(1689)年の夏頃,大町刑部頼利の屋敷によく小石が飛び込んできた。子供の悪戯と思っているうちに今度は銅銭が2つ,3つ,そのうち5つ,6つと投げ込まれ,やがて合計百数十枚にもなったという。昔はこれを飛び銭と言い,諸国に見られた。後に子孫の大町将監がその飛び銭を5代吉村公にお見せしたという。
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ダイジャ
1957年 熊本県
頼房の時に、老臣の間で3年間にわたる内乱が起こった。湯前城主の三河直政はこの時、人吉の軍に破られて討死して、湯前の若宮社脇に祀られている。所有の太刀から大蛇が現れたので、この太刀を祀ったという。
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カジカ
1932年 富山県
川にすむカジカの頭には両目の間に鱗形の斑紋があるという。隣村である蜷川村出生の伊勢新九郎が安養寺に伝わる最明寺時頼の遺物鱗形の系図を継承して北条氏を冐したという。
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キツネ,(タタリ)
1986年 大分県
狐を殺すと祟られる。
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フジノヌケアナ,〔ビワコ〕
1982年
孝霊天皇の時、駿河国の富士山は一夜のうちに出現した。それと同じ時に近江国に大きな湖(琵琶湖か)ができたという。
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タタリ
1957年 熊本県
人吉城が攻め落とされた際、山田城の長続が城を奪い返して堯頼を帰城させようとしたが堯頼が死亡した為、長続が後を嗣いだ。その後、城を攻めた頼観兄弟を滅し、その首をさらしたところ祟りがあった。
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アユ
1932年 奈良県
北条時頼入道が諸国行脚の途中、ある庄屋の家に止宿した時に病気になった。村人が心配して村近くの瀧に、入道が回復するなら生き返れと祈願して焼き鮎を投げ入れた。すると鮎は生き返り、それとともに入道も回復した。今もそこには背の半分焼けた鮎がいる。
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