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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

エイコ,カルアシ,ツチグマ
1969年 京都府
推古天皇の時代、丹後国の三上ヶ嶽に、英胡・迦樓夜叉・土熊という鬼が住んでいた。そこで天皇は麿子親王に命じて征伐させた。誅した後、鬼のうち土熊を岩窟に封じた。これが今の鬼ヶ嶽だという。

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キンキ,フウキ,スイキ,インギョウキ
1975年
天智天皇の時代に、藤原千方という者が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4鬼を使役していた。伊賀と伊勢の国はこの鬼のせいで、天皇の支配に入らなかった。そこで紀朝雄という人物が「草も木も我大君の国なればいづくか鬼の栖なるべき」と和歌を詠んで鬼のもとに送りつけたところ、たちまちに鬼はいなくなり、藤原千方は朝雄に討ち取られたという。この鬼は狐狸の類か。
類似事例

オニ
1975年
霊は鬼であり、鬼は気である。
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チチオニ
1941年 大阪府
父鬼は父の鬼が住んでいた事からその名が起こったという。その鬼が父瀧にいたとも、鬼唐臼にいたとも言う。鬼唐臼には鬼の夫婦がいて、それが討たれ、手負いになって河内の鬼しめに逃げた。延命寺に負矢という家があって鬼の系図があるという。又この鬼しめには川に大きな石があってそこで鬼が死んだので鬼の血がついて今でも赤い、ということである。
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オニ
1961年 和歌山県
百姓が雨がなくて嘆いていると、鬼が雨を降らし、かわりに一人娘をさらって行った。娘は鬼の家で鬼の子を産み、鬼の子がお爺さんに会いたいというので、鬼の留守に鬼の車に乗って逃げ出した。鬼が追いかけてきたが、笑わせて逃げ切った。お爺さんの家に行き、鬼が怖いと言っていた青い剣と青いヒルに似た菖蒲とヨモギを軒端に下げて鬼を退散させた。それが五月節供の由来。
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マセキ,ホウセキ,オニ
1943年 山形県
推古天皇の6年、午の年、羽黒山の後の鬼名澤というところに麻石という鬼が現われて、人を悩ませた。能除太子が8月にこの鬼を封じたが、翌未の年に男鹿の島に包石という鬼が住み始めたので、太子は6月15日にこれも封じた。
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オニ
2004年 京都府
鞭家の由来。麻呂子親王が英胡・土熊の両鬼を追撃していた時,与謝郡石川庄の豪族吉田氏が道案内をした。このとき下賜されたのが鞭薬師,吉田氏はいまの鞭氏である。
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オニ
1922年 徳島県
昔、鬼が住んでいて人を喰い、財を掠めていたが、法然上人によって改心させられ、仏道に入った。鬼は罪を悔いて死んだので、そこに鬼骨寺を建てた。鬼骨寺では、今でも鬼の牙を秘蔵しているという。
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オニ
1916年 徳島県
高越山の山腹には、鬼が入定したと言われている鬼ヶ定という所がある。また、焼山寺山には鬼が棲んだという岩屋が残っている。
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オニノイナイムラ
1937年 静岡県
昔、鬼を退治して鬼はいないので豆はまかない。
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オニ
1997年 静岡県
鬼払いの行事の過程に関する記述。鬼払いに出る鬼は、青鬼、赤鬼、黒鬼の3匹である。鬼役を務めると厄逃れや兵役逃れ、弾逃れになるといって希望する者が多かったという。
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クマノテアライユ
1951年 長野県
一人の猟師が熊を矢で射止めたが、熊の後を追うと、熊は温泉の湯に手を入れて洗っていた。その後狩人は傷を負ったとき、その湯で洗うと傷が治った。これが野沢温泉の熊の手洗い湯のおこりだという。
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オニ
1986年 鹿児島県
ある人が狩りに行って、木の上にしばられた鬼ににぎり飯をやったら、鬼が力をつけてしばっていたカズラを切り逃げた。実はその鬼はその人の妻の父がしばっていたもので、逃げた鬼は妻をさらって鬼が島へ行ったという。妻をとりかえすために箱に入って鬼が島へ行き、鬼を退治する。
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ゼンキ,ゴキ,エンノギョウジャ
1928年 大阪府
摂津の箕面山に夫婦の鬼がいて、夫を赤眼、妻を黄口といった。5人の子を持ち、人の子を捕まえて食べていたという。そこで、役行者は鬼の子のうち末子を呪力で岩窟の中に隠した。二鬼が役行者を尋ねてきたとき、人の子を食わないならば子供の居場所を教えた。その後、夫は前鬼、妻は後鬼と改名し、行者の身辺を一時たりとも離れることはなかったという。
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クスノキ,フナダマサマ
1928年 長崎県
摂津の箕面山に夫婦の鬼がいて、夫を赤眼、妻を黄口といった。5人の子を持ち、人の子を捕まえて食べていたという。そこで、役行者は鬼の子のうち末子を呪力で岩窟の中に隠した。二鬼が役行者を尋ねてきたとき、人の子を食わないならば子供の居場所を教えた。その後、夫は前鬼、妻は後鬼と改名し、行者の身辺を一時たりとも離れることはなかったという。
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オジュラッサン
1984年 愛知県
乙方(南知多町)には鬼が住み、人間の子供を七人まで食べたので、その仕返しとしてある人が鬼の子を捕まえ隠した。鬼は泣いてわが子を探すと、その人が鬼に向かって「人間の嘆きも同じである」といい、鬼は非常に後悔して子供の守り神となった。これが現在の林若子神社であり「おじゅらっさん」と呼んでいる。
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チチオニ,ハハオニ,コオニ
1941年 大阪府
昔、父鬼と母鬼との間には、9人の鬼の子供がいた。その鬼の使った臼が、ある河原に残っている。
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オニ
1990年 静岡県
久保というところに鬼穴という穴があって鬼が棲んでいたのを、弘法大師が退治した。鬼とは山賊のことだったろう。
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キンキ
1981年 山形県
大舟では熊を捕ってはならないという禁忌がある。熊狩りを見ただけでも腹病みをしたという人もいる。
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オニ
1982年 群馬県
駿河の鬼と榛名の鬼が山のつくりっこをして、榛名の鬼が負けた。一番鶏が鳴いたので榛名の鬼がおきっぱなしにした土が、ひともっこ山になった。
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オニ,ホウキ
1941年 朝鮮
村人で四方山話をしている中で、鬼は強くて負け嫌いという話になった。すると鬼が現れて相撲をとろうと言った。相手になった村人は力持ちで、鬼を倒すことができた。何度も負けた鬼は姿を消した。翌日その場所を見ると箒が転がっていて、鬼は箒が化けたに違いないということになった。それ以来、頭の近くに箒を置いて寝ると、恐ろしい鬼の夢を見ると言われている。
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オニ
1975年 三重県
坂上田村麿は天皇の命令によって、鈴鹿山で鬼を討ったという。
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