異文化へのまなざし
−まなざしに注がれたまなざしを巡る文化展示の哀歓

稲賀繁美         図書新聞(1997/12/27)   


 現在、吹田の国立民族学博物館では、開館20周年を記念して、「異文化へのまなざし−大英博物館コレクションに さぐる」が開催されている。出品総点数1万点に達するという意欲的な展覧会だ。導入部の写真パネルの洞窟を、 お宮参りのように潜ってゆくと、だんだんに時間が遡及する。はてなと思ったころ、タイム・トンネルの先には、 百年前の大英博物館の展示風景が忽然と現れる。不思議なノスタルジーと違和感。白熱灯下の古色蒼然たるショー・ ケース中に、当時の大英帝国の異文化へのまなざしが凝固されている。

 普通展覧会といえば、展示物を通じて観客が何らかの知見を得る、教育的な仕組みだ。いわば観客は受け身となり、 情報を注入されることを期待する。ところがこの展覧会は、そうした常識を覆すことを訪問者に要求する。これは 展示物を眺める展覧会ではない。むしろ展示物に注がれた視線そのものを問い直す試みといってよい。敢えて言えば、 展示されているのは、大英帝国がアフリカやオセアニアに注ぐ視線であり、逆にアフリカやオセアニアのヨーロッパ観で ある。「お勉強」に来た来訪者は、当初、何が問題となっているのか分からず、戸惑いの連続ともなるだろう。だがやがて、 博物館見学という「常識」を成り立たせていた抑圧が、眼前で解き放たれる。目から鱗が落ちる、とはこのことだ。

 博物館という制度のなかでは、いわゆる未開社会が「当然」の展示対象となってきた。ところが、非西洋が描いた 西洋の姿は、なぜか「博物館」という容器からは排除される。反対に非西洋世界では、西洋世界が博物館の展示物となることは 稀だ。また、(西洋)美術品と(非西洋)民族資料を区別する基準はどこにあるのか。日本の刀剣はまさにその境界例だが、 それを飾る十九世紀の大英博物館の日本展示風景を復元展示している、この民族学博物館とは何なのだろう。展示を展示する 入れ子構造のなかに、文化関係の偏務性が露呈し、「視」に組み込まれた権力関係が納得される。それは視線の無垢を喪失した 現代という失楽園の「原罪」の姿にほかならない。

*『異文化へのまなざし』98年1月27日まで国立民族学博物館、その後世田谷美術館へ巡回