原理主義--その自己破壊プログラム
 排他主義の倒錯的国際インターナショナルへの現状分析のために

稲賀繁美         図書新聞(1997/10/25)   


 暗殺されたノーヴェル平和賞受賞者。といわれれば、ごく一般の読者にもエジプト大統領サダートと イスラエル首相ラビンの名前が浮かぶだろう。カイロでの度重なる欧米(さらには外国人一般)観光客への 無差別テロ、そしてイスラエル和平の新たな危機。だがこうした情報は日本のマスコミでは散発的に伝えられる のみで、その実態は容易に把握しがたい。かつてはPLOのアラファト議長の盟友でもあったエドワード・ サイードの著作にしても、パレスティナ問題への三十年にわたる関与をまとめた主著だけは、なぜか翻訳も 存在しない。本邦の英文学者なる種族の敬遠ぶりが、今や巨大な知の空洞を穿っている。 そんななか、一般には 流通しない地味なかたちで、貴重な文献が配布されている。『エジプトの原理主義運動 現状と分析』 『パレスティナ選挙後のイスラーム諸組織の動向調査』。いずれも外務省委託調査研究として社団法人イスラーム 協会が1996年3月にまとめたもの。それぞれ百頁強の報告のなかに、おそらくは日本語で入手可能な最良の情報の粋が、 門外漢にも理解可能な明晰さでもって圧縮されている。多数の執筆者を個人名で列挙することは避けるが、日本の若手、 中堅の地域研究者の底力がいかんなく発揮された、おそるべき個性的論文が満載されているといって過言でない。 そして情報収集が諜報活動と踵を接する危うい現場の生々しさも、その背後には厳然とそのまがまがしい姿を現わしている。

サダートを「アラーの啓示されたものによって統治しない者」として殺害した論理と、ラビン首相をユダヤ教の ハラハーに照らして「神の命令に従って」裏切り者として殺害した論理とのあいだには、ある共通性がある。同胞を棄教 あるいは背教という名のもとで殺害する選択を、法学的に容認する解釈が公言されたことだ。そして場合によっては そうした原理主義の思想的扇動者が欧米、とりわけ北米合州国で教育を受けた知識人であり、それに追随するのが、 未来に希望をもてない比較的教育水準の低い若者であることも無視できまい。 原理主義なんて日本とは無縁だと 考える向きもあろう。入国管理の水際作戦が有効なかぎり、日本は原理主義の脅威からは保護されている、と。 だがそうした日本特殊論こそ、原理主義の一種にほかなるまい。それが歴史教育論争という強迫神経症を知識人に 蔓延させ、黒塗りの宣伝カーに魅了される青年を生む土壌となる。自由と人権の守護神を任じる北米合州国もまた、 キリスト教的原理主義の大票田かつ宗教的原理主義の輸出国たるを免れない。