第1回

はじめに

 日本人は昔から多くの妖怪(ようかい)や怪異現象に関する伝承を伝えてきた。人々はキツネやタヌキといった動物に神秘的な力を見出し、身辺に起こる「不思議」を理解しようとしたり、想像力を駆使し、鬼や天狗(てんぐ)、河童(かっぱ)のような存在の仕業として説明しようとしてきた。
  国際日本文化研究センター(京都市)の「怪異・妖怪データベース」は、民衆に伝えられていた怪異・妖怪についての報告・記述を、民俗学系の雑誌や江戸の随筆から拾い出した地味なデータベース(DB)だが、02年の公開以来、予想を超えるアクセス件数を数えている。
 そこで、しばらくこのDBを手がかりに、妖怪たちの多様な姿を紹介してみたいと思う。(記事はDB未入力分も含みます)

(小松和彦)

第2回

ツチノコ

 蛇にしては胴が太く、柄の無い槌(つち)のような姿だというツチノコ(槌の子)。地域によってはノヅチ(野槌)、尺八蛇などと言い、横になって斜面を転がるという話から、タンコロ、ドデンコとも称されている。
 生け捕りに賞金がかけられるなど、近年でもメディアで話題になるが、民俗学では、昭和40年代に、坂井久光が雑誌『あしなか』で4度の報告をしている。坂井は、生態学者の今西錦司らと、目撃情報のあった各地へ足を運んだが、お目にかかることは出来なかったようだ。今西は蛇が獲物を飲み込んで膨れた状態と理解したが、岐阜県金山町では交尾期の蛇が絡まり合ったものだという。また全く架空の生物とする向きもある。
 呼び方といい解釈といい、単一の現象に還元できないところが興味深い。

(日文研妖怪DB班・中本剛二)

全国の「ツチノコ」

第3回

豆が降る

 空から降ってくるのは雨や雪だけでなく、時には雹(ひょう)や花粉も降ってくるが、御札や豆までとなると、気象庁も困ってしまう。ところが江戸時代に、これらが実際に降ったらしい。伊勢神宮の御札が舞い、民衆が熱狂的に「ええじゃないか」と叫び踊ったという話は有名である。
 御札は有り難いが、豆だと困ったことになる。菅茶山の『筆のすさび』によれば、豆が降った翌年は必ず飢饉(ききん)になるという。「天地の気」が異物を孕(はら)んでおかしくなったからで、それが凶作をもたらすという訳だ。いわば天からの警告である。
 炒(い)り豆のような石が合戦の時に降ったという伝説もある。炒り豆は節分などで鬼を打つものだが、天から見れば、地上で戦争を行っている人間たちこそ、追い払うべき鬼なのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・兵藤晶子)

豆(『筆のすさび』)
豆(『筆のすさび』)
「遠江に於ける石の伝説」(『郷土』)

第4回

幻影電車

 線路わきを歩いていると、不幸な事故の犠牲になった動物をみかけることがある。人間と動物の生活領域が重なったとき、譲歩を迫られるのは動物の側だ。動物たちは、自分勝手な人間たちをどう思っているのだろうか。
 明治43年、開通して間もない鉄道で、運転手たちは奇妙な出来事に遭遇するようになった。雨の夜、同じ線路上を猛スピードで向かってくる電車があり、あわててブレーキをかけるが、降りてみると影も形も無い。あるとき、一人の運転手がかまわず突進したところ、電車は消え去ったが、翌朝、線路沿いに一匹の大きな狸(たぬき)が死んでいるのが発見された。
 幻の電車を生んだのは鉄道の開通で住処(すみか)を奪われた狸の恨みなのだろうか。それとも当時の人々が動物たちに対して抱いていた罪の意識なのだろうか。

(日文研妖怪DB班・畑中小百合)

「狐狸の民俗」(『風俗』)
「枚方の狐狸譚」(『郷土研究上方』)

第5回

ハユタラス

 砂浜を歩いていると色々な漂着物に出会う。特にそれが意外なモノほど私達の想像は大いに膨れあがる。一体どこから流れ着いたのだろうか、と。
 江戸時代の有名な政治家・新井白石の『采覧異言』によれば、東北地方南部の海岸には、しばしば大変長い人骨が漂着したらしい。白石はその骨を、日本の東にある国・巴太温(ハユタラス)人のものだという。骨の長さからみて彼等は身長が高く、日本神話に登場する長髄彦(ナガスネヒコ)はこの地の出身だとか。他の書物にも「大身」という国が登場し、どうやら日本の東の海上には、巨人が住むと考えられていたようだ。
 日本は常に西側の海へと関心を向けてきた。逆に東側も間近に陸地があるはずと考えたのか。近世の知識人にとって、太平洋は見知らぬ異界だったのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

巴太温,長髄彦(『消夏雑識』)

第6回

ヒルマボウズ

 大相撲夏場所がまもなく始まるが、相撲が大好きなのは人間だけではない。スモトリ坊主やヒルマボウズなど、相撲好きで知られる妖怪もいる。
 ヒルマボウズは、小坊主の姿をしており、人間を相手に、相撲をとろうと誘う。「昼間」坊主という名前にも拘(かか)わらず、出現するのは月夜の晩だけである。道を通る人に声をかけ、相撲の相手を申し込むのだ。
 スモトリ坊主もヒルマボウズと同じように道行く人を相手に相撲をとる。しかしこちらは格好が違う。「相撲取り」坊主という名前でありながら子供の姿となって現れる。子供だからといって気を抜くと、大変な目にあうという。
 相撲が好きだからこそ、相手を求めて出没する妖怪(ようかい)たち。妖怪と人間の一番は、どちらに軍配が上がるのだろうか。

(日文研妖怪DB班・本多彩)

「仲多度郡琴南町美合の妖怪と怪談」(『香川の民俗』)
「讃岐山村の伝説と昔話」(『あしなか』)
「幡多郡大方町,田の浦民俗語彙」(『土佐民俗』)
「ひるまんぼうずの話」(『土佐民俗』)

第7回

運命の神様

 運命とは全く不思議なものだ。それは神様が決めるものとも言われるが、人間が変えることはできないのだろうか。
 新潟県長岡市にこんな話が伝わる。昔、ある男が川辺で朝寝をしていると「今日生まれた娘は十八歳の嫁入り道中、大雨が降ってきて崩れた岩の下敷きになって死ぬ」という声が聞こえてきた。そっと覗(のぞ)くと神様たちが話し合いをしている。自分の娘のことだと直感した男は嫁入りの際に蓑(みの)と笠(かさ)を持たせ、雨が降っても岩の下で雨宿りさせなかったので娘の命は助かった。
 一方で、神様が定めた運の大きさどおりの人生になる話(秋田県角館地方)や、用心しても運命を変えられない話(新潟県吉田町)もある。ある日、神様たちの話し声が聞こえてきたとしたら、あなたはどうしますか?

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

全国の「運定め」譚

第8回

子豚の怪

 豚は私たちにとって最も親しみのある動物の一つだが、実際は食卓でしかお目にかからないという人も多い。生きた豚に出会うのは意外に難しいのだ。
 養豚が盛んな奄美大島や沖縄には、豚にまつわる怪異が豊富にある。例えば、夜中に外を歩いていると、突然森から子豚が飛び出してくる話がある。その子豚に股の間をくぐられたら命が奪われてしまうというのだ。また、川でエビをとっていると、子豚が流れてきた話もある。つかまえようと網をかけると、子豚は幾千もの小さな子豚に分かれ、網目から飛び出して追いかけてきた。あわてて豚小屋に逃げ込み、大きな豚のかげに隠れて難を逃れたという。
 最近、ペットとして豚を飼う人が増えている。そのうち日本各地で、こうした不思議な話が聞かれるようになるかもしれない。

(日文研妖怪DB班・畑中小百合)

「田名部落調査報告(禁忌俗信の項)」(『民俗』)
「南西諸島の伝説(上)」(『旅と伝説』)

第9回

キジムナー

 沖縄地方で有名な妖怪の一つにキジムナーがいる。顔は赤く、髪は縮れ、背丈は子供くらいで、ガジュマルなどの古木を棲家(すみか)にする、と一般に言われている。仲良くなると、魚を取ってきてくれるなど、いろいろ助けてくれるが、怒らせたために体を引き裂かれて死んだ人がいたという恐ろしい話もある。
 面白いのが、キジムナーの足跡を見るという子供たちの遊びである。薄暗くて静かなところに円を描いて小麦粉をまき、線香に火をつけて中心に立てる。呪文を唱えて一斉に隠れ、20数えて戻ると、キジムナーの姿はもうないが、小麦粉には足跡が残されているのだという(『豊高郷土史』)。
 豊見城市では腐れ縁の友達を「キジムナードウシ」という。キジムナーはそれだけ身近にいる妖怪だということだろう。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「妖怪の世界−樹の精(キジムナー)の物語−」(『豊高郷土史』)
九州・沖縄地方の「キジムナー」
九州・沖縄地方の「キジムン」

第10回

貧乏神

 神々の中でも特別に有名なのだが、人気がないのが貧乏神だ。貧乏神が憑(つ)くと、何事もうまくいかないので、昔から人々は貧乏神を寄せ付けない方法を考えてきた。妖怪DBを検索すると「食事中に膝(ひざ)をゆすらない」「大晦日(おおみそか)に酢の物を食べる」等がある。
 江戸時代の著名な国学者・橘守部の『待問雑記』によると、たとえ人の出入りが少ない日でも、部屋に一度は風を通して掃除をし、使わない部屋は閉め切っておく。そうすると貧乏神は、家の中に入って来ることが出来ないという。
 この話を意識して部屋を掃除したら、隅々までクッキリ見える気がした。掃除をしない心の隅に貧乏神は棲(す)んでいる。病は気から、とはよく言うが「不幸も気から」なのだろう。そう気付かせてくれた貧乏神はやはり神様だ。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

貧乏神(『待問雑記』)
全国の「貧乏神」

第11回

足下の異界

 町を歩くと、空地だった所にビルが建っていて驚くことがある。そんな土地の下に亡霊が眠っていて、自己主張を始めたとしたらどうなるだろうか。
 城戸千楯の『紙魚室雑記』によると、ある庄屋が荒神(こうじん)松という塚を畑にしようとした。すると息子の夢に「私の住みかがなくなってしまう」という恨めしげな声が聞こえた。また隣家から金銀を持った人を殺して塚に埋めたと責められた。濡れ衣を晴らそうとして塚を掘り返したが、古い棺(ひつぎ)や骸骨(がいこつ)が出てきてしまったという。
 その骸骨は石川年足という高貴の人だと分かったため、石碑が建てられた。結局、塚は畑にはされず、亡霊の主張が通った訳だ。土地がみだりに開発される今日にも、誰かの夢に地底からの恨みの声が聞こえているのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・兵頭晶子)

神異(『紙魚室雑記』)

第12回

ろくろ首

 ろくろ首といえば怪談話でもおなじみの妖怪であるが、元来は東南アジアの妖怪であったらしい。江戸時代に書かれたろくろ首の考証をみると、ルーツの一つとして、飛頭蛮(ひとうばん)という妖怪が紹介されている。
 飛頭蛮は、うなじに赤い筋があることをのぞくと普通の人間と変わらないが、夜寝ていると首だけが体から離れ、耳を翼のように使って飛ぶ妖怪だという。
 飛頭蛮がどのような経緯で首が伸びるとされたのかは明らかでないが、両者とも本人は寝ているために自覚が無いという点で共通しており、これを「魂が抜けているため」であるとし、離魂病と説明する向きもある。
 いずれにせよ、ろくろ首は人気のあった妖怪で小咄(こばなし)にも登場。曰(いわ)く、ろくろ首はおからを食べるのが大変だ。

(日文研妖怪DB班・村山弘太郎)

飛頭蛮(『斉諧俗談』)
全国の「ろくろ首」

第13回

船幽霊・幽霊船

 語順を変えただけだが、怪異現象は全く異なる。船幽霊は海の上で出会うと「柄杓(ひしゃく)を貸せ」といってくる。柄杓を貸すと水を注がれて船が沈んでしまうので底の抜けた柄杓を渡さなければならない。
 それに対して幽霊船は、汽笛を鳴らさなかったり、風向きと逆に進んだりする船である。また赤と青の左右の船灯が逆だったり、向かって来て衝突するかと思うと消えたりしたため幽霊船とわかった、といったものもある。
 船幽霊は古風な妖怪だが、幽霊船は近代的な船(おそらく沈没船)の姿で現れる。船幽霊は怖さの中にも愛嬌(あいきょう)がある。一方幽霊船にはどこか現実的な怖さを感じる。海上交通の近代化につれ「船幽霊」は「幽霊船」に取って代わられたのだろう。怪異のリアリティも時代と共にある。

(日文研妖怪DB班・中本剛二)

全国の「船幽霊」
全国の「幽霊船」

第14回

トイレの花子さん

 現代の不思議な話といえばトイレの花子さんが有名だ。しかしその話には実は様々なバリエーションがあることは、あまり知られていない。
 学校の3階の3番目のトイレのドアを3回ノックして「花子さん遊びましょ」と呼びかけると返事があるという話(栃木)は典型的だが、山形では体長3辰離肇ゲ姿で頭が3つあり人を食べるという。3回水を流すと便器から手が出るという話もある(神奈川)。
 こうした様々なうわさ話の創出や派生はいったい何を意味するのだろうか?
 科学の進歩で怪異は無くなると言われたが、今なお報告は減らない。そこに小松和彦や常光徹は日本文化の特質を見る。

(日文研妖怪DB班・中山和久)

「高校生が知っている不思議な話」(『下野民俗』)
「怪異雑考(八)」(『西郊民俗』)
「高校生が知っている不思議な話」(『下野民俗』)
「学校の中の非日常空間の位相」(『民俗』)
全国の「花子さん」

第15回

鳴動

 鳴動とは様々な場所や物体が、自然に鳴り動く現象をいう。日本の古代・中世社会では、国家に関わる非常に不吉な出来事とされていた。
 ただし近世に下ると鳴動は国家との関連性を薄める。妖怪DBには聖地を汚した人間に対して山の神や鬼または天狗(てんぐ)などが、懲罰の意味で山川や家屋等に鳴動を起している事例がある。また、捨てられた老婆が石になり、度々夜泣きして鳴動したという伝承もある。高僧がお経をあげると割れて血を吹いたという。鳴動は日本社会に営々と語り継がれた、代表的な怪異現象といえよう。
 ある携帯電話の説明書を見たら「着信時に鳴動させる」という記述があった。指一本であらゆる情報を入手できるケイタイは、ある種怪異的だ。そこに鳴動という言葉が使われたのは偶然だろうか。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

「鳴動」の事例

第16回

雷獣

 「地震・雷・火事・親父(おやじ)」とは日本人が恐怖した代表であった。とりわけ雷はその音や稲妻のせん光で恐れられてきた。岐阜県のとある学校に若くて可愛らしい女の先生がいたが、先生の片ほおには大きな傷跡があった。それは先生が幼いころ、家に落雷があったときに天から雷獣が落ちて来て大暴れして、たまたま近くにいた先生が顔を引っかかれてしまったのだという。
 雷獣は天の在であるが、雷鳴に驚いて空から落ちることもあるらしい。パニックに陥った雷獣は、天に帰ろうと慌てて木を登る時に暴れるのだ。名前は勇ましいけれど、実は怖がりで小心者である。
 雷獣を見たという報告は各地にあるが、姿は水かきのある狼(おおかみ)、狸(たぬき)、あるいは猫に似ているという。風ぼうもなかなかユニークではないか。

(日文研妖怪DB班・本多彩)

「山村散話」(『あしなか』)
全国の「雷獣」

第17回

鬼子母神

 いつの世も突然愛する我が子を奪われた母の嘆きと悲しみははかり知れない。
 子供の守り神として愛知の乙方村では十羅刹女様(おじゅらつさま)をまつっていた。村で子供が続いて亡くなった時、一戸で団子千粒ずつを供えて祈願したところたくさんの子供が生まれて元気に育ったという。当地ではこの神の前身は鬼子母神と言われている。
 鬼子母神は人の子をさらって食べるので、釈尊に自らの子を隠され「己の悲しみを以(も)って人の悲しみを知るがよい」といさめられ、子供守護の神となった。
 釈尊なき現代でも、子育てで悩んでいたところ、鬼子母神が毎夜夢に現れて教えを授けてくれたので救われたという不思議な体験談がある(秋田県能代市)。世界中の受難の子たちにも加護のあらんことを祈りたい。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「おじゃらっさま」(『みなみ』)
「青森と秋田のゴミソ」(『民俗学評論』)
全国の「鬼子母神」

第18回

 青白く淡い光を放ちながら夜空を乱舞する蛍。一時は数が減少し、その姿を目にする機会も少なくなっていた。しかし水質改善の意識の高まりとともに、その生息場所や数もずいぶん増えてきたのではないだろうか。この可憐(かれん)な夏の風物詩はまた、死者の魂であるともいう。
 三方ケ原の合戦で討ち死にした徳川と武田の軍勢の武士たち、滅亡した明智光秀の一族、宇治川で敗れ平等院に果てた源頼政。その最期の地では、蛍を無念のうちに死んだ彼らの魂であるとして恐れていた。
 夢なかばにして死んでいったものたちと、あの儚(はかな)い光。たしかに通じ合うものがあるようにも思える。その光がたとえ無念の光であったとしても、清流を取り戻せたことは彼らとともに喜ばなければならない。

(日文研妖怪DB班・村山弘太郎)

「蛍」の事例

第19回

山犬

 辞書ではまず「日本産のオオカミである」とあるが、それ以下の説明を読むとただのオオカミではなさそうなものが多い。
 妖怪DBに収録されている事例の多くは、山道で山犬がついてくるというものである。静岡県水窪町では、山犬は神様から地面に落ちているものすべてを食べることが許されている。ゆえに転んだときは「ワラジが解けた」といわないと食べられてしまうという。しかし山犬は人を守って送るものだともいう。高知県幡多郡では、山犬が化物から守ってくれた御礼に小豆飯の団子をあげたという話が残されている。
 ところで、ニホンオオカミは明治時代に絶滅したとされているが、目撃談は後をたたない。山犬の話と同様、それは人びとのオオカミに対するある種の畏怖のあらわれに違いない。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「山姥・天白・御社宮司」(『日本の石仏』)
「山の怪異伝承」(『季刊民話』)
全国の「山犬」

第20回

魂の帰還

 毎年8月になるとあの戦争の記憶がよみがえってくる。遠い異国の地で亡くなった兵士たちの死は通知という形で遺族に届けられたが、中には兵士たち本人が最後の別れを告げに帰ってくることもあった。
 例えば次のような話がある。ある兵士の母親が真夜中に目覚めると、戦地にいるはずの息子が枕元にいた。息子の帰還を喜んだ母親が話し掛けると、彼は空腹を訴えた。そこで食事の用意をしようとしたが、息子はそれを制し「さようなら」と言った途端に消えてしまった。役場から戦死の知らせが届いたのは翌朝のことだった。
 兵士が最後に家族の姿を見ることを望んだのだろうか、あるいは故郷で待つ家族が兵士の魂を呼び戻したのだろうか。今年もまた様々に思いを巡らせながら、8月15日を迎える。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「利根の妖恠・幽霊」(『上毛民俗』)
「戦地から帰った魂」(『美濃民俗』)

第21回

お地蔵さま

 8月下旬になると、町内の子供がソワソワし始める。山と積みあげられた菓子やジュースが彼らのお目当て。関西ではよく見かける地蔵盆の風景だ。
 お地蔵さまの話、特に「○○地蔵」と名前がつく話は多く、怪異DBにも数例収められている。例えば周囲を3度回ると笑い出す「笑い地蔵」(鳥取)、酒屋や遊郭の前に現れる「遊び地蔵」(岩手)といった面白い話がある。一方、その前で転んだら着物の袖を納めないと悪い事が起こる「袖もぎ地蔵」(兵庫)や、毎夜強盗や乱暴を働き、最後は地中に埋められた「夜ばい地蔵」(埼玉)といった怖い話もある。
 人間の生活に一番近い存在だからこそ、こうした表情豊かな話が生まれるのだろう。その優しいまなざしは、お菓子の箱の後ろから、子供たちの姿を見つめている。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

「笑ひ地蔵」(『土の鈴』)
「地蔵雑話」(『土の鈴』)
「袖もぎ地蔵」(『播磨』)
「絵や彫刻が悪戯をする話」(『民具マンスリー』)

第22回

鯰と災害

 9月1日は防災の日。大正12(1923)年に起きた関東大震災を忘れないためこの日が選ばれたという。災害は忘れたころにやってくる。日々の備えが肝心というわけである。
 鯰(なまず)が災害と関わっているという話は多い。鹿島神宮の要石は、地震を起こす大鯰を押さえ込んでいるといわれている。また林笠翁の『仙台間語』によれば、鯰のない土地に鯰が生じると、水災が起こるそうだ。古来鯰がいなかった関東に鯰が現れた途端、洪水が起こったという。戊辰戦争のころに仙台湾で鯰が捕れたといううわさがあり、何か事変が起こるに違いないと騒がれたという話もある。
 鯰自体が災害を起こすのか、それとも人間に災害を知らせているのか。「乱肴(乱れを呼ぶ魚)」と恐れられた鯰の警告に、耳を傾ける日も必要なのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・兵頭晶子)

「鹿島南部地方」(『茨城民俗』)
鯰(『仙台間語』)
「八十翁談話―秋田県平鹿郡淺舞町―」(『旅と伝説』)
全国の「鯰」

第23回

ダイダラボッチ

 映画「もののけ姫」で有名になったが(作中ではデイダラボッチ)、いわゆる巨人である。その伝説はほぼ全国的に分布する。
 東京都北多摩郡ではダイダラボッチの荷物が落ちてできたという山があり、千葉県松戸市や埼玉県豊野村(現、大利根町)には足跡があるという。また長野県松本市ではダイダラボッチの歩いた跡から生じた窪地や沼があるという。
 もちろん私たちは、そのような山や沼がどのようにできるのか、知識としては知っている。しかし時に雄大な自然の造形は、偶然とは思えないほど私たちに確かな「何か」を連想させる。そんなときに巨人の姿を思い浮かべることは、現代的なエコロジー志向とは違った形で、自然とのつながりを確認し、取り戻すことにつながっているのではないだろうか。

(日文研妖怪DB班・中本剛二)

「ダイダラ坊遺跡」(『民族』)
「房総のデーデッポ伝説」(『房総の文化』)
「奥武蔵の山岳巨人伝ダイダイ坊の足跡伝説」(『あしなか』)
全国の「ダイダラボッチ」
「ダイダラボッチ」に似た呼称

第24回

名月姫

 大阪府能勢町にある名月峠には「名月姫墓碑」と呼ばれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、嫁入り道中がここを通るとよくないことが起こると信じられている。無念にも嫁入りを果たせなかった姫が、行列をうらやましがるからなのだという。
 時の権力者、平清盛が絶世の美女といわれた名月姫を見初めたとき、姫にはすでに許婚者(いいなずけ)がいた。それでも姫を我が物にしたい清盛は、姫の家と許婚者の家を滅ぼしてまでも姫を手に入れようとした。
 しかし、物語は悲劇のうちに幕を閉じる。清盛を拒む姫が、許婚者と共に自害したのである。(「旅と伝説」通巻102号)
 月にまつわる物語には、なぜか悲しいものが多いように思う。淡くはかなげな月の光が人に悲劇を予感させるのだろうか。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「名月姫伝説を訪ねて」(『旅と伝説』)

第25回

顔が付く

 自分の顔とは長い付き合いである。しかしここに思ってもみない顔になり、困ってしまったおじいさんの話がある。
 おばあさんの葬式が出せないおじいさんは、何を思ったかその骸(むくろ)を家の前にぶら下げた。その骸に触れた瞬間、顔が離れ、おじいさんの顔に張り付いてしまった。村に居づらくなったおじいさんは旅に出ることにした。
 ある日、おばあさんの顔がぼた餅を食べたいと催促するので、勝手に食べろ、と言うと、おばあさんは我慢できなかったのだろう、おじいさんを離れ、ぼた餅を探すために去っていった。「今だ!」と思ったおじいさんは逃げ出し、おばあさんの顔から解放された。
 おばあさんの顔は、ぼた餅を食した後、自分の体に帰ることができただろうか。また別の人の顔に付かなければよいが……。

(日文研妖怪DB班・本多彩)

「羽後角館地方の昔話(二)」(『旅と伝説』)

第26回

桔梗

 「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花(おみなえし) また藤袴(ふじばかま) 朝顔の花」(山上憶良)。万葉集で秋の七草の一つ「朝顔の花」と詠まれているのは、一般的には、桔梗(ききょう)のこととされている。秋の花と思われがちだが、実際には6月の下旬から咲き始める。
 この美しい花と同じ名前を持つ女性がいた。平将門の弱点を俵藤太に告げ、その死の原因になったと伝えられている「桔梗」である。そのため、将門滅亡の言い伝えが残っている地にはいまだに桔梗が生えず、また災いを呼ぶため、桔梗を意匠とするものも忌避するのだと伝えられている。
 絶滅の危険がある今では、言い伝えが残っていない地域でも桔梗が自生している様を見ることができなくなってしまった。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「桔梗を忌む部落」(『郷土研究』)

第27回

柘榴

 ひとつの果実にまつわる聖と邪の魅力が今も私をとらえる。幼いころ黄土色の果実からのぞく深紅で透明なかけらを、母にせがんでやっと口に入れた私は、なぜか神聖な禁断の実を汚す後ろめたさに襲われた。
 昔、人の子を食らった鬼子母神の祭られる所には必ず柘榴(ざくろ)の木があり、味が人肉に似ているその実が供えられた(愛知県)。柘榴の木がある家には病人が絶えず、果実は若仏(亡くなってすぐの人)が好み死人の香りがする(鳥取県)と不吉なものと考えられた。しかし他方で柘榴の汁は鏡を磨く貴重品とされ(同県)、子孫繁栄を表す縁起良い果物ともみられている。
 少女のころ柘榴に感じた甘い不可思議な動揺は、母神が世の毒から保護するために身を削って与えてくれた聖薬が、体中に魔力の効果を浸透させたかのようだった。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「樹木に関する因伯の民揺(三)」(『因伯民談』)

第28回

付喪神

 すべての物は年数を経れば霊魂が宿り、付喪神(つくもがみ)になるという信仰がある。鎌倉時代ごろから発達した思想らしく、木像や人形などが最も化けやすいとも言われている。
 だが付喪神と聞いて連想されるのは、むしろ古くて使われなくなった道具たちだ。あらゆる道具に手足が生え練り歩く様を描いた「百鬼夜行絵巻」の影響だろう。
 そんな付喪神の目撃談がある。乞食(こじき)が古寺の庭で寝ていたら、にぎやかな酒盛りの音がした。障子の穴からのぞくと、壊れた茶碗や草履、げたなどのがらくたが歌い踊っていた。夜が明けると皆逃げ出し、翌朝縁の下に積まれているのが見つかったという。
 古くなった道具たちの、一夜のうたげ。物が大量に使い捨てられ、徹底的にリサイクルされる現代には、失われた光景かもしれない。

(日文研妖怪DB班・兵頭晶子)

「妖怪変化ものがたり」(『郷土研究上方』)
「盛岡地方の民譚(一)」(『郷土研究』)

第29回

鏡の力

 昼間は何気なく見る鏡も、夜になると独特の怖さを持つようになる。怪談によく登場するのはトイレの鏡と三面鏡で、これらはあの世とこの世を結ぶ扉の役割を果たしている。
 また、鏡の持つ力には「真実を映し出す力」といったものもある。愛媛県に伝わる美女に恋をした若者の物語がその例である。
 ふたりは恋を語る仲になっていたが、ある日若者が鏡岩に映った女の姿を見ると、そこには蛇体があった。それでも若者は女の正体が蛇であるとは信じきれず、女への思いを込めて笛を吹いた。女は曲にあわせて舞いながら蛇体へと変わり、やがて若者を抱いてふちの底に沈んでいったという。
 真の姿が見えたからといって、それが幸福につながるとは限らない。世の中には見えないほうが幸せなことがあるのも事実である。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「トッポ話の源流」(『伊予の民俗』)

第30回

絵馬

 落語「ぬけ雀」は、ある絵師の描いた雀が、朝日を浴びると絵から飛び出たことで話が展開する。描いた物が動きだすというのは、絵師の優れた力量を示す逸話としてよく用いられる。
 江戸期の随筆『江戸砂子』によると、浅草観音堂にかかる絵馬は、狩野元信の手による非常に霊妙な作品ゆえに、夜な夜な絵から馬が出てきて草を食べた。困った人が左甚五郎に頼んで、画中の馬を鎖でつなぐように描いてもらうと馬は出てこなくなったという。二大芸術家の競演といえようか。
 他にも平安時代に活躍した巨勢金岡の絵馬(鳥取)や水墨画で有名な雪舟の絵馬(山口)も、絵を抜け出して悪さをしたため、手綱(たづな)が書き加えられている。
 現在の絵馬は機械生産されたものがほとんど。印刷された絵馬の馬は、もう悪さすらできない。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

「絵馬の馬(『江戸砂子』)

第31回

風邪の妙薬

 「男心(女心)と秋の空」と、移ろいやすいものの代表として挙げられるように、秋の天候は秋雨前線や台風の影響を受けてさまざまに変化する。天候の変化に伴って気温が上下するのに体温調節が追いつかず、風邪を引きやすいこともまた秋の特徴の一つといえるだろう。
 風邪の対策としては、手洗いやうがいなどさまざまな方法があるが、「スルメを焼く」という一風変わったものもある。大阪府岸和田市には、火鉢でスルメを焼いていると風邪の神が現れ、そのにおいを嫌がって逃げて行ったという話が伝わっている。
 これから冬に向かって、気温は下がる一方である。風邪を引いたら暖かくして睡眠を取るのが一番だが、そういうわけにもいかない時は先人の知恵に頼ってみるのも悪くはないかもしれない。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「チャアクライジジイ」のこと(2)(『近畿民俗』)

第32回

口裂け女

 マスクを着けた髪の長い若い女性が「私、きれい?」と声をかけてくる。その答えいかんによっては、マスクをはずし、耳まで裂けた口をあらわにしながらカマで斬(き)りつけてくるという。70年代末に発生したこのうわさは、さまざまなバリエーションを生み出しながら全国に広まり、子どもたちを震かんさせた。
 当時小学生だった私にとって、口裂け女は殺人鬼的ではあるが生身の人間そのものであり、それに抱いた恐怖心もまた非常にリアルなものだった。それが、大人たちから現代の妖怪伝承として位置づけられ、それを信じる自分たち「現代の子ども」ともども民俗学の分析の対象となっていたことを知ったのは、かなり後のことである。
 その時、私はかつての自分が今よりもずっと異界の杜の近くに住んでいたことを知った。

(日文研妖怪DB班・才津祐美子)

全国の「クチサケオンナ」

第33回

火の玉

 墓のそばで2匹の蝶(ちょう)がもつれ飛んでいた。遠い昔不運に消えた男女の魂の化身が、あえたよろこびを確かめている様で、帰途私は悲恋のほのおにしばし気持ちをはせてみた。
 須佐の入江(愛知県南知多町)に住む静谷太郎とおしかは人もうらやむ仲だが、彼女は器量がよく側女(そばめ)の話が持ち上がる。嘆く太郎は相手の殿様に花立てを投げ付け手打ちされ、おしかも思慕のあまり狂死し寺に埋められる。雨夜ごと太郎の火の玉がさまようが、紅葉の下に美しいおしかの霊をみつけると、見られなくなった。
 暗闇でゆれる火の玉は主に死人の魂とされ,蒸し暑い雨夜に多くは墓で出現する。鬼火、人魂、陰火、霊火とも呼ばれる。火の玉にはさまざまな思いがまとわりつく。
 蝶は許されない恋人たちが安らぎの地へ向かう暁の姿であろうか。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「静谷太郎の亡霊(伝説)」(『みなみ』)
「静谷太郎の亡霊」(『みなみ』)

第34回

証文と妖怪

 江戸時代は庶民へも文字が浸透した時代であった。そのため、調査に出かけると数多くの江戸時代の古文書に出合うことができる。そのなかでも特に多いものが、証文の類である。
 証文のやり取りとそこに記された文言の履行義務は、人間界だけのものではなかった。当時の人々はそれを妖怪たちにも求めた。
 ある河童(かっぱ)は、川を渡っていた馬のしっぽをつかんだだけで、腕を切り落とされ、もう二度と人や馬に近づかない旨の証文を取られた。また寺で怪異を起こした狐(きつね)は、懲らしめられたうえに二度と境内に立ち入らない事を誓約させられた。彼らは神仏の力に屈服したのではなく、証文の実効力に屈服したのである。
 江戸時代とは、妖怪までもが人間の論理に組みこまれた時代でもあった。

(日文研妖怪DB班・村山弘太郎)

「『疫神の詫び証文』をめぐる二・三の問題」(『民具マンスリー』)
「山形県南置賜郡中津川村」(『民俗採訪』)
「狐伝承と稲荷信仰−特に、変化型狐伝承と茶吉尼天信仰を中心にして−」(『日本民俗学』)

第35回

天女の口づけ

 天女と言えば、空から降りて水浴びをしていた天女が、男に羽衣を奪われ夫婦になるという羽衣伝説が有名だ。しかし中には、気まぐれに降りてきて、ロマンチックないたずらをする天女もいる。
 ある武士が自宅の座席で昼寝をしていたところ、天女が降りてきてキスをした。武士は、思いもよらない夢をみたと恥ずかしくなり誰にも言わなかったが、その後、彼の口中から、においの玉を含んだような、とても良い香りがするようになった。その香りは、彼が死ぬまで消えなかったという(大田南畝『半日閑話』より)。
 その武士は美男でもなく、さえた男ぶりでもなかったのに、なぜ天女はこんな情をかけたのか。人々は不思議がったという。だがそこに、天女の奔放な可愛らしさが感じられる気がする。

(日文研妖怪DB班・兵頭晶子)

天女の接吻(『半日閑話』)

第36回

2人の女房

 人ごみの中で知人を見つけて声をかけたが別人だったという気恥ずかしい経験は、誰にでもあるだろう。よく「世の中には自分に似た人が3人いる」と言うが、何から何まで自分そっくりの人物が目の前に現れたらどうなるだろうか。
 ある日突然妻が2人になった武士の話が、徳島県に残っている。2人は容姿も着物も同じで、全く区別がつかない。武士は偽者の妻を切ろうとしたが、2人とも自分が本物で相手が偽者だと言うので、どうすることもできない。そこで神仏に祈とうしたところ、1カ月ほど後にようやく偽者が消えたという。
 2人は外見だけでなく、会話に対する反応も全く同じだったのだろうか。会話不足でその判断ができなかったのだとしたら、それはそれで情けない話ではある。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「妖怪に遇ふた人」(『郷土趣味』)

第37回

茨木童子

 酒呑童子の子分で、源頼光の四天王の一人、渡辺綱に羅城門で片腕を切り落とされる話は有名である。その出自に関しては現在の大阪府茨木市、新潟県栃尾市など諸説ある。
 茨木での伝説は以下の通りである。生まれた後、人間離れした容ぼうのため捨てられ、茨木の髪結いの主人に拾われ家業を手伝うようになる。よく働いたが人の血の味を覚え、わざと人を傷つけて血をなめるようになったという。ある日、水面に映った鬼の面が自分の姿であることを知り、家を出る。
 さて、今日茨木童子は茨木市のマスコットとなっている。市役所前の「高橋」という橋の欄干には後ろ手に金棒を持った、愛らしい童子の石像がたたずんでいる。人として過ごし、そして後に離れざるを得なかった地をどのような思いで見つめているのだろうか。

(日文研妖怪DB班・中本剛二)

「上方伝説行脚(三)」(『郷土研究上方』)
「茨木町に残る伝説『茨木童子』の遺蹟」(『郷土研究上方』)
「茨木町に残る伝説『茨木童子』の遺跡」(『郷土研究上方』)
「越後の酒呑童子」(『伝承文学研究』)
「越後の酒呑童子」(『伝承文学研究』)

第38回

猫の忠臣蔵

 飼い猫の持ってくる「贈り物」には、虫や小動物など少々迷惑なものが多いが、山梨県には実にユニークな恩返しをした猫の話が残されている。
 昔、老夫婦がかわいがっていた猫が13歳になったとき、暇を出してくれるよう申し出た。世話になったお礼に何でもするという猫に、芝居好きのおじいさんは「忠臣蔵」をリクエストした。
 約束の日、草っ原に幕が張られ、役者に化けた猫はきれいな衣装で見事な芝居を演じた。それが終わると猫は三声鳴いて、それきり戻ることはなかったという。
 昔、猫は体重が800匁(約3繊砲砲覆襪隼々化け、1貫(約4繊砲撚修映になり家を出るといわれた。飽食の現代、日本猫の平均体重は約3繊今日すれ違った人のおしりでは、シッポがゆれていたかもしれない。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「猫の忠臣蔵」(『旅と伝説』)

第39回

清姫

 暗闇で今にも動きそうに空(くう)へ視線を漂わせている娘の横顔。彼女はどこを見ているのだろう。私は和歌山・道成寺に飾られた清姫伝説の絵から、底知れない煩悶(はんもん)が伝わってくるような気がした。
 紀伊国真砂(和歌山県中辺路町)で育った清姫は諸国行脚の僧安珍を慕い、夫婦約束を交わした。だが仏道とのはざまで苦しんだ安珍は道成寺へ逃げ込む。清姫は裏切られた苦しみにもだえながらそのあとを追い、執念から蛇となって日高川をわたり寺に入る。やっと隠れた釣り鐘をみつけると、7回半巻きついて鐘もろとも燃え上がり、安珍を焼き殺した。(「郷土趣味」通巻7号)
 寒い寺の庭には赤い椿(つばき)が点々と落ちて、清姫の情と血のなごりが、時を経て私をも熱く包むような錯覚に陥った。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「口頭伝承」(『近畿民俗』)
「日本伝説おもちゃ集(三)」(『郷土趣味』)
「蛇の伝説」(『郷土趣味』)

第40回

門松

 最近は実物を目にする機会がめっきり減ってしまったが、門松は正月の縁起物の一つである。歳末から1月7日、あるいは15日にかけて立てておくことが多い。ところが、それ以降になっても、門前に松のある家があった。
 小正月が終ったので門松をしまおうとしたが、どうしても松だけが抜けない。根元を調べると、松がしっかりと地面に根を下ろしている。不思議に思いながらそのままにしておくと、ぐんぐん見事な松に成長した。この後、家も松と同様大きく栄えたという。
 正月の象徴である門松を、新しい年を迎えて年齢を重ねる証しだとして「めでたくもあり めでたくもなし」と歌った狂歌もある。しかし、このような思いがけない大きな幸運を呼び込んでくれることもあるのだろう。

(日文研妖怪DB班 仁科亜紀)

「相模の民話亜廖福愍鑢永顕集Φ罅戞

第41回

悪大師考

 弘法大師といえば日本に密教を伝え真言宗を開いた空海のことであり、信者にとってはありがたいお大師さまだ。 しかし民間にはささいなことから悪人も驚くむごい仏罰を与える大師の姿も語り継がれている。
 甲府市の話では、芋の接待を要求して断られた大師が、その地域の芋を全て食べられなくしてしまったし、秋田県雄物川町では飲み水を断られたので地域の水源を全て枯れさせている。
 『伊予二名集』の話はさらに残酷だ。長者の衛門三郎に布施を断られた大師は彼の子ども8人全員を1日ずつ死に至らしめた。悔い改めた三郎は日本初の遍路となり、領主へ生まれ変わっている。
 懲罰が予定されていなければ人を律することはできない、というきれい事ではない真実を、民間伝承は教えているような気がする。

(日文研妖怪DB班・中山和久)

「峽間伝承」『民俗学』
「弘法さまのお授け」『郷土研究』

第42回

夕暮れ、子供にせまる影

 神隠しする妖怪の代表は天狗(てんぐ)やキツネ。だが子供への身近な脅威はそれにとどまらない。
 子取りばばあや油取り、赤マントの怪人が夕暮れ時に子供を連れ去るのだ。多くは遊びから帰らない子供を脅す文句に使われた存在だが、連れ去りの理由は売りとばす、血を抜く、肝を取るなど、具体的な脅威に満ちている。
 江戸時代には子供に毒饅頭(まんじゅう)を食わせて歩く「饅頭食わせ」という者が来る、という尋常でないうわさが流れた。この子供を狙った無差別テロに、大人たちは右往左往した。
 世が乱れると、脅威への不安が増幅され、うわさとなる。現代日本をかけめぐったいくつかのデマも例外ではないだろう。妖怪伝承の裏側には陰画としての私たちの社会が透けて見えてくる。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

「竹槍騒擾記」『旅と伝説』
「各地のいひならはし(其七)」『なら』
「各地のいひならはし(其八)」『なら』
「更埴地方の言ひ慣なし」『郷土』
「各地のいひならはし(其六)」『なら』
「尾張犬山の口碑伝説」『郷土趣味』

第43回

河童(かっぱ)

 河童はもっとも有名な妖怪の一種。日文研妖怪DBでも500件を超える事例が登録されている。エンコ、ガワッパなど呼称も多様で、それを含めれば件数はさらに増える。
 河童は枕返しなどたわいのないいたずらをする。また川や沼で人をおぼれさせ、尻子玉を抜くなどの害を及ぼしもするし、逆に返り討ちにあい、詫(わ)び証文を書かされたり、傷によく効く軟こうをもたらしたりもする。
 つまり単に不思議なことだけでなく、人知を超えた災いと恩恵双方の自然現象が、河童という異界の住人とのかかわりのなかで理解され、契約や交換をすることで考えを整理しているのだ。
 そのような異界の住人へのリアリティーを失いつつある現在、私達は災厄も恩恵ももたらす自然とうまくつきあえているだろうか。

(日文研妖怪DB班・中本剛二)

全国の「カッパ」

第44回

お化け見物

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、とは使い古された言い回しだが、それを地でいく事件があった。昭和8年、大阪の病院のガラスに白昼、老人の幽霊が映ると評判になり、奈良や神戸からも見物人が訪れたという。
 56年後の平成元年にも、栃木県小山市で「橋げたに幽霊の姿が染み出た」とテレビで放映され、関東近県から見物人が集まる騒ぎがあった。染みや汚れ、陰影の加減が「幽霊!」となり、口コミなどで広がって因縁話ができあがるという構図はまったく同一だ。
 怪異・妖怪の出現は日常を忘れる一時の異界であり、ときによりそれは娯楽の側面ももっているということなのだろう。
 しかし明治時代、大阪・天神橋に出ると評判になったお多福のお化けなど、見物客をあてこんだ狂言だったというから、ご用心!

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

「木むすめ」『郷土研究上方』
「小山市観晃橋の幽霊騒動」『下野民俗』
「大阪妖怪畫談」『郷土研究上方』
「わが住む町の民話」『季刊民話』
「上方怪異備忘録」『郷土研究上方』
「俗信よもやま話」『茨城の民俗』
「青根民俗ノート」『ひでばち』

第45回

六部の旅

 楽しい旅行も宿が取れなければ途方に暮れる。電話で予約ともいかない昔の旅人はどうしていたのだろうか。
 江戸時代の旅人に六部(ろくぶ)という勧進の巡礼者がいた。全国66州へ経巻を納め歩いた「六十六部回国聖」のことで、彼らは行く先々で民家や寺堂に宿した。
 こうした旅の六部が殺されて金品を奪われる、いわゆる六部殺しの伝承は全国に分布している。徳島県阿南市には、泊めてもらった民家の主人に秘蔵の宝物を見せてしまったために、欲を起こした主人に殺され、宝物を奪われた六部の話が伝わる。六部の遺体が打ち捨てられた淵(ふち)は今もなお黄赤く濁っているという。
 旅先で不遇な死を迎える六部は多かったであろう。「ふるさとへ廻(まわ)る六部は気の弱り」(古川柳)。旅も日常化するとつらい。

(日文研妖怪DB班・中山和久)

「六十六部の祟り」『民族の歴史』

第46回

祠(ほこら)に宿るもの

 街中を歩いていると、ビルの谷間に祠を見つけることがある。どんな神がまつられているのか不明だが、近代的な建物の中で、そこだけが異空間のようでもある。
 そんな祠にまつわる話を紹介しよう。ある繁盛した小料理屋の調理場に祠があり、店の人はお供え物を欠かさなかった。だが増築の際、祠を壊すことが決まる。すると天井で誰かが歩く足音がし、大工が確かめると白いものがスッと消えた。それが何か正体不明のまま祠を捨てると、その夕方大工は右腕を折り、助手はねん挫した。人々は祠のたたりだとうわさした(『伊予の民俗』通巻16号)。
 店を繁盛させたのも、たたったのも祠の神だろうか。今日も名もない祠が目の前にある。そこに何が宿っているのか知らぬまま、私たちは通り過ぎていく。

(日文研妖怪DB班・兵頭晶子)

「私が聞いた妖怪」(『伊予の民俗』)

第47回

猫と河童とカワウソと

 「河童(かっぱ)は猫に似た化け物だ」と言ったら、たいがいの人は驚くのではないか。しかし少なくとも山口県と青森県の一部地域では語り伝えられていることなのだ。一体どういうことなのだろう。
 河童と猫、かけ離れた両者をつなぐヒントはカワウソである。
 ニホンカワウソは79年を最後に生きた姿の目撃例はないが、その昔は日本全国の水辺に生息する、ありふれた獣だったのだ。そして、カワウソは化かす、女に化ける、人間を水に引き込む、などと伝承されていた。猫のようになめらかな体の、河童と同じ水辺の妖怪、カワウソ。
 カワウソは水辺から消え、水辺の妖怪は猫に似ている、という伝承が残った。水嫌いの猫にしてみたら、水の妖怪の正体にされてしまうのは複雑な気分だろう。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

全国の「カワウソ」

第48回

植物の精霊

 アイヌに伝わる昔話。2人の女が村々を訪ねてえたいの知れないものを食べよ、という。あやしんで断るとひどく怒り、次の村へ行く。
 ある村長のところにもやって来た。村長夫妻が思いきって食べると、とてもおいしかった。実は2人はオオウバユリとギョウジャニンニクの精霊であった。自分たちが食物であると人間が知らないのを残念に思い、食べられると教えるために来たのだと語った。
 植物が食べてもらえないのを残念がるという、ユーモラスな話であるが、アイヌの人々の自然観がかいまみられて興味深い。飽食の時代といわれて久しいが、はたして今日、人間にかえりみられずに、ゴミとして捨てられていく食べ物は、我々人間をどう思っているだろうか。きっとこの精霊たちをうらやんでいるに違いない。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

「アイヌの昔話―糞を食はせつゝ來る女―」(『旅と伝説』)

第49回

件(くだん)

 ノストラダムスの「1999年7月に恐怖の大王が降って来る」という予言は有名である。幸いなことに私の目には恐怖の大王らしきものは見えなかったので、この予言は大筋で外れたと思ってよいのだろう。
 このように、人間の予言者の予言が外れることなど珍しいことではないが、中国地方から九州にかけて多くの話が伝わっている件という化け物は絶対に外れることのない予言をするといわれている。
 「件」の字にあらわされるごとく人面牛身で、まれに牛から生まれることがあるのだそうだ。その命はわずか数日で尽きるが、死ぬ間際に戦争やききんといった重大な予言を残すのである。
 何かと先行き不透明なことが多い昨今の世の中。件にはぜひとも明るい未来を予言してもらいたいものだ。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

全国の「クダン」

第50回

亡霊のプライド

 瀬戸内海には、甲羅の突起が人の怒った顔に見えるカニがいる。源平合戦の舞台だけに昔から平家蟹(へいけがに)と呼ばれ、敗れた平家の亡霊の化身(けしん)とされた。
 江戸期の随筆『酔迷余録』によれば、旅の歌人が源平古戦場の屋島で見たカニを「なまじひに海鼠(なまこ)にもならで平家蟹」と詠んだ。なまじっかナマコになるのは嫌だったのかな、と平家の亡霊を笑いものにした歌意だった。
 するとその夜、歌人の寝ている所に亡霊が現れて、彼を心からおびえさせ、一睡もさせなかった。そこで彼は「海鼠ともならでさすがに平家なり」と詠み直し、亡霊を大いに褒めあげたという。
 源氏に敗れて滅亡したが、元は繁栄を極めた我々が、ナマコになんぞなるものか。亡霊のプライドここにあり、というところか。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

平家の亡霊(『酔迷餘録』)

第51回

キツネとタヌキ

 キツネとタヌキの怪異は、全国的に多い。でも、妖怪DBで怪異の報告の全国分布をみると、はっきりとした特徴がある。キツネは東日本、タヌキは西日本に多いのだ。
 分析すると、四国・九州でのキツネの怪異報告は平均より際だって少ない。反対にタヌキの怪異は、近畿の一部と四国に大変多い。特に四国では、キツネが少なく、タヌキが多い傾向が顕著だ。
 環境省の調査によると、四国では野生動物のほうのキツネも少なく、タヌキが多いらしい。全国的に野生動物の生息数と、その動物にまつわる怪異の数は、比例することがわかってきた。
 昔、弘法大師が四国からキツネを追い出し、タヌキを大変可愛がったという伝承がある。現代の妖怪DBは、そんな伝承を数のうえで裏付けている。

(日文研妖怪DB班・山田奨治)

全国の「キツネ」
全国の「タヌキ」
「讃岐丸亀地方の伝承」(『郷土研究』)
「概説「愛媛の民話」(2)」(『伊予の民俗』)

第52回

亡父の秘密

 今春から2年目に入った「異界の杜」。今週から3回、江戸時代の随筆に記された異界を紹介していこう。
 幕末期に活躍した漢詩人、広瀬旭荘の『九桂草堂随筆』によると、友人の父が没した直後、友人の夢に亡父が現れた。そして自分が常に使っていたが誰にも教えていない小箱を、一緒に墓へ入れてくれるよう頼んだという。
 そこで友人は家中を捜したが小箱は見つからず、それから数十年経ってようやく見つかった。その中に入っていたのは、なんと亡父の入れ歯だった。これが人前に出るのを恥と思い、死んでも気にしていた、亡父の秘密だった。
 墓場まで持って行く秘密とはよく言うが、もしも持って行けなかったら……。そうした念が時として、異界である「あの世」の扉を開く。夢という形を借りて。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

『九桂草堂随筆』

第53回

恐ろしい石

 鳥がその石の上に止まると必ず死ぬ。江戸期の随筆『閑度雑談』に記されたこの石は「那須野の殺生石(せっしょうせき)」と呼ばれる。こうした恐ろしい石の話は多い。
 例えば『中陵漫録』には、宮中に忍び込んだキツネが正体を見破られて化け、触る者を死なせる石。『諸国里人談』には、触れた動物たちが死ぬという磐梯山(福島県)の毒石。また大坂の雑事を書いた『浪華百事談』には、虫や鳥が載ると二つに割れ、カエルのように飲み込む石、などなど。
 冒頭に挙げた殺生石は元々那須野(栃木県)にあった石塊の片割れで、いつしか京の都に流れ着いたものだったという。
 近ごろ、街では小石を見つけにくくなったが、私達はアスファルトの上から、殺生石の片割れを踏んでいるかもしれない。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

『閑度雑談』
『中陵漫録』
『諸国里人談』
『浪華百事談』

第54回

江戸時代のUFO

 幕府が開かれてちょうど200年経(た)った享和3(1803)年。長崎にアメリカ船が来港するなど、世界貿易の波が日本に押し寄せてきたこの年、常陸国(茨城県)の海浜にも驚くべき船が漂着した。
 その船の形は釜のごとく、上半分は黒塗りで四方に窓があり、下半分は非常に硬い鉄を筋状に組んでいた。そして船内からは黒髪を後ろになびかせた、20歳ほどの色白美人が出てきた、とある。しかし彼女とはまったく言葉が通じず、また日本のものではない織物を身につけていたらしい。
 この話が収録された『梅の塵』の本文には、この船の図も載せられているが、それはまさに「空飛ぶ円盤」を思わせる形状。そうなると彼女はさしずめ「宇宙人」か。このころの日本は、海も空も騒がしかったのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

データベース未収録

第55回

桜の精(上)

 桜に何かしらの特別な感情を抱く日本人は少なくない。花の命の短さや散り際が、「もののあわれ」や「はかなさ」に美しさを感じる日本人の感性に訴えるのかもしれない。
 しかし桜に宿る精霊については、少々異なる印象を受ける話も伝わっている。
 長野県の安曇野で、九兵衛という猟師の男が山で道に迷い、そこで出会った桜の精に魅入られるという物語だ。そこに登場する桜の精は17、8歳の美女で、蝋(ろう)のように滑らかで透けるような肌、ふさふさと肩を覆う黒髪、ひとなつこい輝きを持つ目が特徴であると述べられている。
 そこからは「もののあわれ」や「はかなさ」はあまり感じられない。むしろ、桜の生き生きとした若い生命力を感じさせる。まさに春の精霊のイメージだ。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「山の夜語り」(『あしなか』)

第56回

桜の精(下)

 「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている……」。梶井基次郎の小説『桜の樹の下には』の有名な一節だ。その屍体を養分にして、桜は美しい花を咲かせるのだという。
 前回の九兵衛と桜の精の物語には続きがある。九兵衛は一度は里に戻ったものの、桜の精の美しさや、彼女を両腕に抱いたときの幸福感が忘れらないあまり、仕事も手につかなくなり、再び山へ入ったのである。
 そしてその結末は聞き手の想像を裏切らない。しばらくして村人によって発見された九兵衛は、幸せそうな表情を浮かべながら、桜の樹の下で花びらに埋もれて冷たくなっていたのだ。
 桜は屍体から養分を吸い上げるだけではない。その人の心まで吸い上げるからこそ、美しく花を咲かせることができるのである。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「山の夜語り」(『あしなか』)

第57回

食わず女房

 浪費をせずによく働く女房は現代においても理想だろうが、昔は飯を食わせることすら惜しむ男もいたようだ。
 食わず女房はその名の通り飯を食わない。ただしそれも夫が見ているときだけのこと。実は頭の後ろに大きな口があり、そこから大量に物を食べるのである。正体は山姥(やまんば)という説(『旅と伝説』通巻40号)や蜘蛛(くも)の化け物であるという説(『伝承文学研究』通巻25号)がある。
 この妖怪を女房にするのは欲深な男である。最後には自分が食われそうになり、九死に一生を得る、というのが物語の定番だ。
 農村での過酷な労働生活において、食事は数少ない楽しみのひとつだったに違いない。この物語には、それさえも惜しむような身勝手な男たちへの戒めが込められているように思える。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「岩手郡昔話」(『旅と伝説』)
「鳥取・中山町の昔話(二)」(『伝承文学研究』)

第58回

行きて還りし物語(上)

 天狗(てんぐ)が人をさらう、という話は誰しも聞いたことがあるのではないだろうか。聖域たる山で不敬をしでかした者を、突然つかみ去る天狗。そうしてさらわれた者の大抵は、絶壁から投げ落とされたり、股(また)から裂かれて木の上につるされたりといった無残な姿で発見されることとなる。
 ところがそのような不敬のやからだけでなく、特に天狗のお気に召した者もまた、深山幽谷にいざなわれてしまう。それは主に純粋無垢(むく)な幼児か、特別の資質を備えた男性である。
 ある者はそのまま行方知れずとなるが、ある者は現実世界に帰還を果たす。しかし異界の風に触れてしまった彼は、もはや以前と同じ日常には戻れない。
 そんな彼らの「行きて還りし物語」を見てみよう。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

該当なし

第59回

行きて還りし物語(中)

 「天狗(てんぐ)のお使い」と称される、天狗と親しく交際する人たちがいる。彼らは飛行する天狗を見たり、声を聞いたり、たびたび遠方に連れていかれたりする。
 彼らはまた、天狗に秘法を授けられている。怪力や早足、剣術や医術などのほか、予知や飛行、不眠不休で働ける能力など、人間を超えた力を身につけるのだ。
 彼ら天狗の弟子は、明治末から昭和初期に評判となった。三重の「天狗の初さん」は天狗に戦争見物に連れて行かれた後、占いで有名になった。富山の「中田行者」は天狗に帰依して株相場で当て、満州事変を予告した。
 戦争や不況で世の先行きが不透明になると、人は人智を超えたものに頼りたくなる。天狗は金もうけなど、俗世間の欲望をかなえてくれる存在でもあったのだ。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

「天狗の初さんの話」(『伊勢民俗』)

第60回

行きて還りし物語(下)

 天狗(てんぐ)の弟子となった者たち。その中の幾人かは、最後には心身ともに天狗へと変わり果て、異界へ飛び立ってしまうのだ。
 天狗と親交のあった先祖がついには天狗の仲間となった、と言い伝える旧家や、住職がいまわの際に天狗に変じて飛び去った、と伝える寺が、各地にある。
 「鞍馬天狗」のように、現代、天狗のイメージはとてもよい。超能力を得た彼らをうらやむ人もいるだろう。だが、天狗はただカッコイイだけの存在ではない。「天狗になる」ということばのとおり、彼らを人間以外の存在に変えたのは、抑えきれない慢心や激しいうらみの心なのだ。力の代償は、あまりにも大きい。
 妖怪は、人の心の鏡像である。異界の杜の奥底には、よどんだ闇もまた、広がっている。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

データベース未収録

第61回

袈裟(けさ)の力

 僧侶が身につけている袈裟は、不思議な力を持っているとされている。
 『三河吉田領風俗問状答』によると、竜枯寺(愛知県)の僧侶は、雨乞いの際、海上の竜江という所に行き、法門相承の系図「血脈」と袈裟を投げ入れる。すると必ず雨が降るという。
 「摺(す)り袈裟」というお守りもある。版木で袈裟の図を刷り、折りたたんで所持する。伊豆の修禅寺には、敵討ちで有名な曽我十郎が愛欲地獄に堕(お)ちて苦しんでいたので、墓に摺り袈裟をかけたところ、成仏したという話がある。摺り袈裟は今でも徳島県の恩山寺などで入手できる。
 曹洞宗の一部の寺では袈裟を縫い、身にまとう「福田会(ふくでんかい)」が行われている。縫うことで在家の人々が仏の道に結びつくのも袈裟の力といえようか。

(日文研妖怪DB班・松村薫子)

「竜女成仏譚−雨乞習俗と伝説−」(『近畿民俗』)
「井原地方の民間信仰」(『岡山民俗』)

第62回

白い着物

 暗闇や柳の下で白い着物の人を見て幽霊を連想しドキリとしたことはないだろうか。
 交通事故死があった場所で、白い着物の女性をタクシーに乗せたところ、途中で姿が消えたという話がある。白い着物の人が実は亡霊であったという話は多い。そのため、白い着物の人が現れると不幸の前兆であるともいわれる。
 岩手県宮守村のお鍋が淵(ふち)は、昔、領主の鱒沢忠右衛門が南部家に滅ぼされた際、忠右衛門の側室・お鍋が入水した場所といわれる。かつてこの淵の傍らに白い大石があり、洪水のある時は、白い着物の女がその石の上に現れたと伝えられている。
 白い衣服は、遍路の衣服や死に装束など、非日常の衣服として用いられることが多い。白い着物は、異界の人であることを示す象徴なのであろう。

(日文研妖怪DB班・松村薫子)

「遠野雑記」(『郷土研究』)

第63回

布の呪力

 布は、衣服や袋として用いるだけではなく、旅立つ人に手ぬぐいなどの布を持たせると道中無事に過ごせるというような呪力を持つともいわれる。
 青森県八戸市には、次のような昔話が伝えられている。
 昔、ある家の飯炊き女は、流しの口に袋を下げ、飯粒を集めて鳥に施していた。ある時旅僧に布施をしたところ、その僧は弘法大師であった。大師は袋に関心し「なんじはみにくい顔をしているからこれで磨くように」と法衣の袖の布を切って賜った。女が布で顔をこすると美しい顔になった。ところが家の主の強欲な女房が、その布を借りて毎日こすったところ、馬のような顔になったという。
 布は、用いる人の考え方によりさまざま形を変える。呪力も心構え次第で変わるのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・松村薫子)

「お竹大日如来」(『旅と伝説』)

第64回

夕立

 先ほどまで青々としていた空が一瞬にして黒く染まり、やがて激しい雨が降る。昼の情景をつかの間夜に変えてしまう夕立は、夏の熱気を取り去る天然の冷房装置であり、重要な水確保の機会でもある。
 奈良県月ヶ瀬村にある龍王の滝で、夏の干ばつの時に女性の腰巻を洗濯すると夕立になるという言い伝えがある。この滝には次の話も残っている。ある貴人が女官を連れて滝にやって来た。夏の暑い日だったので女官に水浴びをさせて自分も水に入ったところ、雷鳴がして大雨になった。2人はあわてて逃げ帰ったが、それ以来、女性が滝に行くと荒れるという。
 突然の雨降りのせいで洗濯物が濡れるというような迷惑も時にはあるが、夕立は夏の空にささやかな彩りを添えてくれることもある。次回は、その彩り・虹の話。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「月ヶ瀬村の伝説と世間話」(『昔話「研究と資料」』)

第65回

 夕立でざぁっと一雨来た後、条件が重なれば空にかかるのが虹である。歌のモチーフとしてもよく用いられる美しい自然現象は不思議な印象も与えるとみえて、虹の「根元」に黄金が埋まっている、という言い伝えも残る。
 また、こんな話もある。夕立があった日、ある公家の屋敷の庭に虹が二つ立ったが、空に映ったそれは一つになっていた。不吉なことが起こるのではないかと思っていたところ、その年の冬に武家伝奏の役職を仰せ付けられて、家は繁栄した。後に中国の書を読んだところ、虹は天の使いであり、悪行の家に虹が立つのは凶だが、善行を多く積み重ねた家に立つのは吉だと書かれていたという。
 虹は運命の先触れの役目も果たしてくれる。ただし、その吉凶を左右するのはあくまで自らの行いの結果、ということらしい。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「光と民俗(二)」(『旅と伝説』)
(『閑窓自語』)

第66回

日常にひそむ異界

 いつも見慣れた、おなじみの風景。しかし日常の場所が、時として非日常である異界への入り口に変わってしまうことがある。
 どちらも徳島市、明治の初めの話。早朝、ある少年が寒げいこに向かう途中、通り道である「助任橋」という橋が二つに増えていた。石を投げると右からは石が水中に落ちる音が、左からは石が木に当たる音がした。左の橋を渡ると右は消えたという。また、「福島橋」という橋にはお福石という大石があり、通行人が深夜これに笑われると必ず異変があると言われていた。ある士族が石に笑われたので自分も石に笑い返して引き返すと、何事もなかったという。
 どんな事態が起きても、あわてず冷静に対処すること。これが、異界から伸びてくる手をすり抜ける秘けつのようだ。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「妖怪に遇ふた人」(『郷土趣味』)
「妖怪に遇ふた人」(『郷土趣味』)

第67回

ひだる神

 安部公房「飢餓同盟」の中には、「ひもじい様」という神様が描かれている。信者の営む茶屋で売られている、キノコの干物で作った護符の名前は「満腹」。町民の心身の飢餓感を象徴するこの神様は、山の妖怪「ひだる神」がモデルと考えられている。
 峠道などで旅人にとりつき、足腰の立たないほどの飢餓感を与えるのがひだる神だ。安永4(1775)年、東海道の亀山宿(三重県亀山市)で、京都の旅商人が突然顔色を変えて倒れ込んだ。商人に飯を与えると、急に起き上って飯に食らいつき、正気にもどったという。餓死者のさまよえる魂が固まったこの妖怪から逃れる方法は、常に満腹であることらしい。
 飽食の現代、飢餓と背中合わせだった昔の人の恐怖感は現実味を失っている。しかし心の飢えはむしろ深まっているようだ。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「ひだる神」(『民族』)

第68回

人魚雑記(上)

 海をすみかとする人魚が人里に紛れ込む話は数多い。小川未明は新潟の民話をモチーフに「赤い蝋燭(ろうそく)と人魚」で悲劇を描いたが、ひとと通い合う話も各地に伝わる。
 佐渡島の話。美しい人魚のイオが夜、ある民家に現れた。その家の婆さんが驚き、他に人間に見つからないように海へ帰るように促すと、イオはすうっと波間に消えて行った。
 南海の宮古島には人魚と結婚する話も伝わる。サアネという少年が魚釣りをしていると、海から人魚が現れて「私は竜宮からの使者、最初に出会った男の妻になるように命じられている」と告げた。ウマニャーズという名の人魚は五穀が永遠に出てくる「無尽蔵の袋」を持っており、子にも恵まれ、夫婦は幸せに暮らしたという。
 次回は人魚への切ない恋話。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「外海府物語その1」(『季刊民話』)
「南島の人魚譚(講演)」(『フォクロア』)

第69回

人魚雑記(下)

 「山椒魚」で岩屋に閉じこめられた愚鈍な生き物の叫びを描いた井伏鱒二。彼が「旅と伝説11」に採集した武蔵国落合村(東京都多摩市の一部)に伝わる人魚に恋した河童の話も、道化ぶりに相通ずるものがある。
 元亀2(1571)年、春から夏に雨が降り続き、洪水が続いた。修験者の佐貫坊がそれを鎮めるために渚で捕獲した河童を利用することを思いついた。酒宴で河童が「人魚はつややかで麗しく、肌は玉のようでどきどきします」と恋心を語ると、佐貫坊が「その顔では人魚を口説けん。洪水を引かせてくれれば、円満にまとめてやるぞ」ともちかける。河童を放すと、2、3日で水が引いたという。
 河童が思いを遂げたかは記録されていないが、その可能性は薄いだろう。ずるがしこい人間に利用される妖怪の姿はあわれだ。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「落合の河童」(『旅と伝説』)

第70回

異界・紀伊山地

 今年7月、世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」が登録された。そこで今週から4回にわたり、この地域の異界話を紹介しよう。初回は「熊野」である。
 紀伊山地の南東部にあたる熊野地域は、熊野三所権現の霊場として古くから信仰され、今も多くの参詣者を集めている。
 こうした聖なる地には怪しい話もつきものだが、この熊野の山中には「一本ダタラ」なる妖怪がすんでいるらしい。この妖怪は片目片足で、幅30造發△訛跡が一足ずつ雪の上に残っていたという。実は江戸時代に編まれた『紀伊続風土記』にも登場する、とても歴史のある妖怪のようだ。
 いにしえの道が残る熊野路を歩く時、少々疲れてつえが欲しくなる。2本の足と1本のつえで3本足。これで我々も立派な妖怪だ。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

「熊野採訪録」(『民間伝承』)

第71回

異界・紀伊山地

 「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」の世界遺産登録にちなみ、この地域の異界話を紹介している。今回は「参詣道」を取り上げよう。
 紀伊山地に点在する霊場をつなぐ参詣道は、深い常緑樹に包まれて、昼間でもひんやりと暗い場所が多い。そこに異界が生まれる。
 参詣者が熊野古道を歩いていると、突然激しい空腹におそわれて動けなくなる時があるという。これは「ヒダル神」なる妖怪のしわざらしい。また「ヒトタタラ」という片目片足の鬼も参詣者を苦しめた。さらに「ナンジ」という魔性が現れて、信心の足りない者はナンジの出した火で焼かれるという話も伝わる。参詣者の信心が試されているわけだ。
 参詣道に出没する妖怪によって人々は霊場への信心をあつくする。これも「共存共栄」と言えよう。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

「鬼と金工」(『日本民俗学』)
「十津川の三浦峠とヒダル神」(『あしなか』)

第72回

異界・紀伊山地

 紀伊山地の世界遺産登録にちなみ、この地域の異界話を紹介している。今回は「高野山」を取り上げよう。
 弘法大師空海が開いた聖地・高野山には、毎年観光客など多くの人々が訪れている。しかしさすがに霊場らしく、高野山には怪しげなモノもかなり伝わっている。
 例えば、撞(つ)けば必ず願い事がかなう「無間の鐘」。ただし成就後は不幸が続き、最後は没落するという。また業(ごう)の深い人は渡ることができない「御廟の橋」。身に覚えのある豊臣秀吉はここを恐る恐る渡ったらしい。奥の院の「汗かき地蔵」は毎日午前10時ごろに必ず汗をかいたと伝わる。また高野山は天狗(てんぐ)のすむ場所としても有名だ。
 こうしたガイドブックに載らない異界が、逆に聖地・高野山のアヤシイ魅力を引き出している。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

「無間の鐘」(『旅と伝説』)
「奥羽巡杖記」(『旅と伝説』)
霊仏(『雲錦随筆』)

第73回

異界・紀伊山地

 紀伊山地の世界遺産登録にちなみ、この地域の異界話を紹介している。最後は「吉野・大峯」である。古くから山岳修験の霊場として有名な地域だが、動物にまつわる怪異譚(かいいたん)が豊富である。
 例えば医者がキツネのお産に立ち会った話や、毎夜玄関を叩きにくるタヌキ。人の後ろをつけ、転んだらかみつく「送りオオカミ」もいれば、頭や背中にササが生えている馬やイノシシたちも。人が大蛇に遭遇した話は多く、なかには見ただけで病気になった人もいた。河童(かっぱ)や天狗(てんぐ)や鬼も登場し、ろくろ首の村もあったというから実に面白い。
 世界遺産登録の基準には「人間の創造的才能を表す傑作であること」がある。ならば紀伊山地の「異界」も、その基準を満たしうる人類の傑作ではないだろうか。

(日文研妖怪DB班・戸田靖久)

「奈良県吉野町・国栖の昔話(上)」(『昔話―研究と資料―』)
「奈良県吉野町・国栖の昔話(下)(狸)」(『昔話―研究と資料―』)
「奈良県吉野町・国栖の昔話(下)(送り狼)」(『昔話―研究と資料―』)

第74回

三猿「見ざる」

 三猿にちなみ、今年のえとの猿に関する話を3週にわたって紹介しよう。
 筆者が高知県を訪れた折に、古老からうかがった話。山に出る妖怪で恐ろしいのが、六面王(むつらおう)、八面王、九面王という怪物。それらは顔色が名の通りの数だけ変わる、あるいは、頭がその数に分かれている蛇のような化け物ともいわれる。これらの妖怪は、たいへん年を取った猿が化けるのだ、ということだった。
 猿の妖怪といえば、長生きした猿が巨大な姿となり、神にまつりあげられ、いけにえを要求するが、武士に退治される話が『今昔物語集』に伝わる。これと違い高知の妖怪は、それ自身が猿の姿をとらないという特徴がある。老猿の本性を見られたら、魔力を失うからか? 「見ざる」。姿を見られることを忌む怪物なのだろう。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

データベース収録なし

第75回

三猿「聞かざる」

 全国に伝わる話で「怪異・妖怪伝承データベース」にも、さまざまなパターンが収録されている話に「猿の祟(たた)り」がある。ある時、猟師が、妊娠している(あるいは子連れの猿)を見つける。猿は猟師に対し、必死に手を合わせて命ごいをするが、訴えを無視して仕留めてしまう。ちょうど猟師の妻も妊娠していて、生まれた子どもは猿の霊に祟られてしまう。
 仏教の殺生禁止や因果応報の教えも含まれるが、そもそも猟師は、猿と同様に親になる身でありながら、猿に共感せず、残酷な行いをしたのがいけないのである。
 殺生が生業の猟師とはいえ、人間とよく似た姿である、猿の命ごいの姿はより哀れに感じられるだろう。内なる良心の声に耳を傾けず、欲望のみに執着し、「聞かざる」をしてはならない。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

「王越町の民話―昔話・伝説・世間話」(『香川の民俗』)

第76回

三猿「言わざる」

 猿と人が約束する話。これも「怪異・妖怪伝承データベース」に散見され、各地に伝わることが分かる。典型としては、水害に困った男が、堰(せき)を築く手伝いをしてもらう代わり、娘を猿に嫁にやると約束する。娘は仕方ないと猿について行くが、一計を案じ、途中の川に猿を突き落としてしまう。
 猿は計略にはめられたにも関わらず、死ぬ間際に娘に向かい、「(死ぬこと自体よりも)嫁のお前を残して死ぬのが心残りだ。お前の今後だけが心配だ」と叫ぶ。実にけなげな猿婿(むこ)だ。
 猿は男の言うままに手伝い、交換条件を果たすのを求めただけである。しかし、人間の方は、ひきょうかつ残酷にこれに応じる。守れない約束なら安易に口にするな。「言わざる」。これは今どきの政治家にも聞かせたい話だ。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

「一一 猿聟入」(『旅と伝説』)

第77回

流れ星

 「釣瓶(つるべ)落とし」に例えられる秋の夕暮れの後に、藍(あい)色の夜空が訪れる。その夜空を切り裂くように流れていく星は、秋の季語の一つである。
 願い事を3回唱えるとかなえてくれるといわれる流れ星は、凶事の前触れなど恐ろしいものとしても多く記録されている。天から落ちる火を「テンビ」「テンピ」「デンビ」などと呼び、火事などの厄災を起こす怪異として恐れたが、その実態はいん石や落雷などのほか、流れ星をそう呼んだとみられる例も多い。流れ星は、落雷と同じ忌むべき現象だったのだ。
 現代、明るい都会の夜空で流れ星が見られることはまれ。ありがたみが増した分、人々の心に不安を与える不吉な印象が薄れ、ロマンチックな天体ショーとして、ただただ歓迎される存在になったのだろうか。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

「美濃揖斐郡徳山村郷土誌」(『旅と伝説』)
「ばば里の記」(『民間伝承』)
「人の一生」(『近畿民俗』)

第78回

髪切り

 テレビをつけているとさまざまなヘアケア用品のコマーシャルが流れている。手間をかけて美しく保っている髪を、何の断りもなく切られたら、どうするだろうか。
 元禄のころ、人の髪が切られるという事件が多発した。男女に関わらず元結際から髪を切られており、本人はいつ切られたのかも分からない。切られた髪は結ったそのままの形で落ちているという。江戸の金物屋の下女は夜中に買い物に出かけて帰ってくると、すでに髪を切られていた。人に指摘されて初めて気づき、下女は気絶した。
 大けがをするわけではないが、「髪は女の命」。髪が伸びるまで怪異の痕跡をまざまざと見せつけられる者からすれば、「髪切り」は十分に恐ろしくまた忌まわしい怪異であっただろう。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

髪切(『諸国里人談』)

第79回

月にうさぎ

 月にはうさぎが住んでいる。子どものころ、誰もが聞いたことのある話だ。月の影を「餅をつくうさぎ」に見立てたのだが、うさぎと月にはこんな不思議な関係がある。
 ある川のそばに住んでいた人は、うさぎをかごに入れて飼っていた。秋、月の明るい晩にかごを木にかけておいたら、うさぎはかごの目を抜けて川面を走って逃げてしまった。うさぎは月に向かうと身体が自由に変化し、かごの目も抜けられるのだという。
 また月を慕ううさぎは、夜になると臼を伏せておいても居なくなってしまうともいう。
 うさぎは月のせいでさまざまな行動を取るのだろうか。あるいはうさぎに力を与えるのは、月にいる同族かもしれない。もうすぐ美しい月とうさぎを見ることができる、十三夜(10月26日)である。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

兎(『寓意草』)

第80回

刀に宿る力

 職人が丹精をこめて鋼(はがね)を鍛え、生み出される刀。所持者を死に追いやる「呪いの刀」の話は有名だが、一方でこんな話もある。
 背負った袋から落ちた大豆が、腰の刀の切っ先ですぱっと真っ二つ。越後(新潟県)の男が持つ霊剣はそれほどの切れ味だった。
 ある日、男が山を歩いていると雷鳴がとどろきだした。そこで男は刀を頭上にかざし目を閉じた。やがて空が晴れ、目を見開いてみると、刀も頭や衣服も血まみれ。落雷したが、頭上にかざした刀の威徳で助かったらしい。刀は後に、上杉謙信の秘蔵品の1つになったという。
 刀は雷を切り、所持者を守ったのだろうか。人の手を経て生まれながら、時に人の想像をはるかに超える刀は、それを扱う者より異界に近い存在かもしれない。

(日文研妖怪DB班・仁科亜紀)

霊剣、雷(『煙霞綺談』)

第81回

生き返る針

 針供養にみられるように針は何らかの力が宿る道具と考えられてきたのであろうか。不思議な話が秋田県に残る。
 大鯨がある男に話しかけた。「昨晩の夢を語ってくれるのなら、特別な針をあげよう」。針は2本あり、1本はどんなに強いものも死ぬ針、もう1本は死人が生き返る針という。針をもらった男は試しに、なんと死ぬ針をその鯨に刺した。鯨はあっけなく死んだ。
 さて男が城下を訪れると、殿様のお姫様が死んだといって皆が泣いていた。男がお姫様の身体に生き返る針を刺すと、姫はぱっちりと目を開いた。殿様は大変喜び、男にほうびを与えたという。
 針は、裁縫や治療のために用いて役立つ道具である一方、誤った使い方をすれば人の命を縮める場合もある。やはり道具は使い手次第なのだろう。

(日文研妖怪DB班・松村薫子)

「羽後角館地方の昔話」(『旅と伝説』)

第82回

いさめる観音

 観音は慈悲深い仏として信仰を集めるが、時に人々をいさめることもある。
 牛と交換でニワトリを手に入れた男がいた。オスにもかかわらず金の卵を産む。すると嫁が欲を出した。金の卵で再び牛を買い、同じようなニワトリと交換してこいという。1羽が産む卵は1日1個。2羽、3羽となれば、それだけ豊かな暮らしが手にはいるのだ。
 いよいよ交換する前日の晩、観音が男の夢枕に立った。「正直者で人のために働いていたから功徳を授けたが、欲が深くなったので功徳はお預けだ」という。翌朝、金の卵は瀬戸物に代わり、男は貧しい暮らしに戻ってしまった。
 人をいさめるのは難しいが、本当に相手の幸福を願うなら鬼になることも必要だ。しかし普段は、観音像のように穏やかなほほえみを絶やさぬようにしたい。

(日文研妖怪DB班・松村薫子)

「円岡邦枝媼の語る昔話―鳥取・中山町の昔話(一)―」(『伝承文学研究』)

第83回

恋の石、恋の火

 恋愛の自由が許されなかった昔、恋人たちは「せめて来世で」と願った。
 武士の好丸は将軍に従って京へ行くことになり、夫婦になる約束をした長者の娘お糸と別れることに。恋心をおさえられない2人は寄り添って泣き続け、そのまま石になったという。各地にある「夫婦石(岩)」の二つ並ぶ石は男女の深い絆を連想させる。
 また、異なる島の者との恋愛であったため人目をしのんで海岸で会う恋人たちがいた。それを島の若者達に見つかり、はやし立てられた娘は、恥ずかしさで崖から身投げしてしまった。相手の男も後を追った。その後、海岸に怪しい火がでるようになったという。
 石となって添い遂げる恋、火となって燃え続ける無念の恋。真実の恋は形を変えても永遠に生き続けるものなのだろう。

(日文研妖怪DB班・松村薫子)

「郷土伝説―岩手雑纂(一)―」(『旅と伝説』)
「沖縄の遺念火由来」(『南島研究』)

第84回

カマイタチ存疑(上)

 冷たい北風の季節となった。冬特有の怪異に「カマイタチ」がある。
 手足などに、知らぬうちにぱっくりと裂き傷ができているのに痛みもなく、出血もない。この現象はカマイタチという妖怪の仕業とされてきた。カマイタチはイタチのようなすばしこく、小さなつむじ風となって人に斬(き)りかかる。まさに「身を斬るような風」というやつだ。3匹1組で行動するともいわれている。
 しかし現代に生きるわれわれの多くは、この現象を妖怪の仕業と考えていないだろう。どこかで「カマイタチ現象は、つむじ風などで大気中に生じた真空が人間の皮膚を裂く自然現象である」という「科学的説明」を耳にしたことがあるのではないか。
 ここで、この「科学的な」説明を少し疑ってかかってみよう。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

全国の「カマイタチ」

第85回

カマイタチ存疑(中)

 「科学的」解説が出る以前、カマイタチは山の神や天狗(てんぐ)が禁忌を犯した者に当てる罰と考えられていた。カマイタチの語源は天狗らの構え太刀という。
 「カマイタチの正体は真空」という説は昭和の初め、気象学の学術雑誌に発表されて、一般に浸透したらしい。しかしすぐに疑義がでた。文人科学者・寺田寅彦が随筆「化け物の進化」の中で「自然界に真空が簡単に出現するはずはないし、たとえ真空ができたとしても人間の皮膚が風船か何かのように簡単に破裂するとは考えがたい」と異議を唱えている。なるほど冷静に考えてみると、寺田の疑義に理があるようだ。
 あんなに「科学的」と思われた真空説が、がぜん怪しくなってきた。それではカマイタチの正体は一体何なのだろう。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

全国の「カマイタチ」

第86回

カマイタチ存疑(下)

 カマイタチの正体は何なのか。答えは意外な方面から提出された。1970年、気象学者の高橋喜彦氏は学術誌上に「かまいたちーー気象書から消したまえ」を発表し、カマイタチは生理学的な現象であると結論を出した。
 同論文によるとカマイタチは、乾燥し突っ張った皮膚が急な衝撃を受けて裂ける現象で、皮膚が開いただけなので痛みも少なく、出血も微量ということらしい。そういわれると「転んだ際」「人とぶつかったとき」カマイタチにあった、という事例がほとんどだ。
 ところが現在、真空が人体を切り裂くという知識は小説やマンガなどでとりあげられ、常識的な「科学知識」となっている。非科学が科学と信じられ、大手を振って流布されていることこそ、妖怪的な状況といえるかも知れない。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

全国の「カマイタチ」

第87回

ネズミの超能力

 夜、寝ていると体が急に重くなり、目も覚めているのに口がきけず、身動きもとれない。こうした経験のある人もいるだろう。今でいう「金縛り」現象を昔は「ネズミにおされた」と言い習わしていた。それはネズミを足で追ったり、悪口を言ったりした仕返しとも言われていた。ネズミは人語を解するのだ。
 民家がカヤぶきだったころ、ネズミは夜な夜なわが物顔で走り回る身近な小動物であった。
 その一方でネズミは大黒様のお使いとされるなど、家の中と外、人間界と異界とを横断する、神秘的な存在でもあった。
 お正月には「ネズミ」と言わず、「ヨメゴ」「おフクさん」などと呼び代える習俗が各地にある。それは霊力あるネズミに今年の福を運んで来てもらいたいという、人の心の表れなのだろう。

(日文研妖怪DB班・飯倉義之)

「鼠を避るまじない」(『田舎』)

第88回

餅なし正月

 日本中が祝賀ムードに包まれる正月だが、新年を晴れやかに迎えられなかった者のために、餅を食べることすらやめてしまった村の話が山口県に伝わっている。
 大みそかの晩、敵に追われた武士が自害する場所を求め、ある民家に入った。家人が言い残すことはないかと聞くと「正月を迎えずに死んでゆく自分の心をくみ、正月を祝ってくれるな」といった。その後、村で正月に餅をついて雑煮を作ったものがいたが、餅をかむと血がたらたらと流れ落ちてきた。それ以来、村で餅を食べるものがいなくなったという。
 偶然に村で死んだ武士のために、年に一度の楽しみさえ放棄するのは不条理だ。しかし、たとえ餅がなくとも、無事に新年を迎えられるということはそれだけで幸せなことなのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「周防大島」(『旅と伝説』)

第89回

雪女のいたずら

 低くたれこめた雲と降り積もる雪。景色がモノトーンに染まる季節は、人恋しさを感じさせる。雪山の住人である雪女も例外ではないようだ。
 雪の夜、夜番の侍がたまたま出会った女に頼まれて、しばらくの間赤ん坊を預かることになった。ところが女は雪の中に消え、抱いている赤ん坊はどんどん重くなっていく。侍は赤ん坊を降ろそうとしたが腕から離れず、助けを求める声も出せない。その後、侍は太い氷柱(つらら)を抱いて、気絶した状態で仲間に発見された。女は雪女に違いない、とうわさになったという。
 目が覚めてきょとんとする侍を、遠くから見る雪女の笑い声が聞こえてきそうだ。人とのふれあいを求めて、いたずらをするあたり、冷酷な雪女もどこか温かみを感じさせる妖怪にみえてくる。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「栗駒の昔話」(『季刊民話』)

第90回

銭のなる梅

 大抵の親は子どものためなら多少の苦労はいとわないだろう。その子が障害を持っていれば、なおさらだ。以下は明治末に実際にあったと記録されている話である。
 ある神官には、知的障害をもつ娘があり、常にその身の上を案じていた。そして、その神官が死んだ後、不思議なことが起こるようになった。娘が予言すると、庭のほこらの横に立つ梅の木から銭が落ちてくるのだ。
 新聞社や警察までもが調査したが、理由は分からず、神官であった父親の霊的作用だという意見も出されたという。
 ハンディキャップを持った愛娘に、経済的に恵まれた暮らしをさせたいと願う父の念が、あの世とこの世の境界を突き破ったのか。いつの世もありがたいのは親の愛情である。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

「梅の樹から錢が落ちる」(『旅と伝説』)

第91回

便所の神様

 今は少ないが、昔はくみ取り式の便所がほとんどだった。便器にぽっかり開いた暗い穴に、いい知れない恐怖を感じた人も少なくはないだろう。
 そんな場所にも神様はいる。「便所の神様」は盲目の女性といわれており、便所につばを吐くと目を病むといった俗信がある。
 また出産と結びついた伝承も多く、妊婦がきちんと便所掃除をしていると美しい子が産まれ、汚くしていると難産になるという。一見、便所掃除をさせるための説話に見えるが、妊婦はある程度体を動かしたほうがよいという先人の知恵も含まれているのだろう。
 それにしても気になるのは公衆便所の汚さだ。下品な落書きも見るに耐えない。人目につかない空間であふれ出る人の心の闇は、たとえ神様でも浄化しきれないほどに深いのかもしれない。

(日文研妖怪DB班・宮元正博)

全国の「便所の神」
全国の「便所神」

第92回

間(あわい)に遊ぶ子ども

 ツツジに導かれ魔所に迷い込んだ少年「千里」は、美女に抱かれて眠ってしまう――。泉鏡花の名作『竜潭譚』をほうふつさせる神隠しの言い伝えが各地に残る。
 行方不明になり、翌日山中で発見された山形の子どもは、なぜか「前夜は母と一緒に寝た」と言った。同じく山で保護された兵庫の男の子は「ひげの生えた人に花畑に連れていかれ、うまいものを食わせてもらった」と話した。
 また高知の娘は不明になって7日目、なんと自宅の押し入れで見つかった。ボロをまとい傷だらけの姿だったが、シキミの葉を食べ、僧侶のような人とおもしろく過ごしていた、と語ったという。
 異界話を楽しげに話す子どもに大人はとまどう。子どもらが現実と非現実の間で遊ぶことができるのは、むくな魂ゆえだろうか。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「神隠しの実話」(『季刊民話』)
「口承文芸」(『成城大学民俗調査報告書』)
「但馬高橋村採訪録(一)」(『民俗学』)

第93回

天狗

 前回は神隠しから無事戻った子の話を取り上げたが、残念ながら二度と帰らない例も多い。人々はそんな時、「天狗にさらわれた」と言った。
 鳥取のある武士の息子が何者かにさらわれた。10年後、息子は妻の夢に現れ、頼んだ。「自分は天狗の弟子になった。行法の披露式に野菜と強飯(ごうはん)が必要なので屋根に置いてくれ」。
 また何十年かのち、木こりが「山で老人に託された」と羽団扇(はうちわ)を武士の家に届けに来た。わが子の形見と大事にしていると、大火事の時、なぜか武士の家だけ焼けなかったという。
 わが子を突然失う悲劇は現代の親にも襲いかかるが、捜索願もない時代の親は理不尽さを異形の者の仕業に例え、あきらめるしかなかった。各地に残る天狗の造形はそんな人間の無力感を語る。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「天狗の話」(『旅と伝説』)

第94回

水の冥土

 夢の舞台で交感し合った人妻の不義の恋は海底で成就する。泉鏡花「春昼」「春昼後刻」の様な悲話が長崎に残る。
 その村は用水に澄んだ淵(ふち)を利用していたが、夏の土用の入りに急に水が止まった。田が枯れ、餓死の危機にさらされた村人は毎夜村の神社に祈願に行く。すると「淵の水神様のたたりだ。はらみ女を犠牲に奉納せよ」と村人の一人に夢のお告げがあった。
 早速身重の女が探しだされ、村人の説得に女は淵に身を投げた。ところが女には僧の恋人がおり、僧も絶望の余り後を追った。今も淵では嘆きの鐘が響くという。
 女犯の戒を破った僧の子を宿したゆえに女が選ばれたかどうかは記録されていない。いずれにせよ、欲念も犠牲になった憎しみも水に清められ、彼らが水の冥土で至極の抱擁を交わしたと願いたい。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「伝説の島原(五)」(『旅と伝説』)

第95回

鴛鴦(えんおう=オシドリ)

 ボタン雪の散るヒスイ色の水面を仲むつまじく2羽の鴛鴦が寄り添う。彼らはつがいのどちらかが死ぬと片方も死ぬという。鎌倉時代の痛ましい説話が残る。
 下野国の安蘇沼(栃木県佐野市)に猟師がおり、ある日つがいの鴛鴦の雄を撃ち殺した。その夜、男の夢になまめかしい女が現れ、夫を亡くした嘆きの詩を吟じた。「安蘇沼で菰(こも)に隠れて独り寝するのはつらい」。消え去る姿は鴛鴦の雌ではないか。驚きのあまり翌朝見れば、雄の傍らでくちばしで自分の腹を貫いて死んでいる雌をみつけた。ふびんに思った男は出家した。(「沙石集」)
 ともすればはかない幻想になりがちな情愛に殉じるきん獣の姿。数百年の時を経ても、混沌とした現代の男女の関係にも示唆を与えてくれるかもしれない。

(日文研妖怪DB班・黒川友美子)

「説話変容の工程分析―阿曽沼綺譚を回転軸にして」(『伝承文学研究』)

第96回

おひなさま(上)

 3日は桃の節句。今週から2回にわたって、おひなさまにまつわる不思議な話を紹介したい。
 東京・八王子の昔話。ある家で、きれいな着物を着た2人組が現れ、階段を上り下りする。家人が2階を調べたところ、片隅に置かれた古い箱の中から内裏びなが見つかった。人形たちが外に出たがって歩き回っていたのであった。人形をお宮に納めたところ、怪異はおさまったという。
 人の魂が宿るとされる人形。その怪異といえば恐ろしげな話も多いが、衣冠束帯(いかんそくたい)と十二単(じゅうにひとえ)の2人が民家の階段をしずしず上っている姿を想像すると、恐いというより、ほほえましい。古箱から念願の外の世界に出ることができた2人は、今も気ままに散歩を楽しんでいるかもしれない。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

「新井ヤエ媼の昔話」(『昔話―研究と資料―』)

第97回

おひなさま(下)

 飛騨(岐阜県北部)には、「棟上雛(びな)」といって、飾って眺めるのではなく、家を建てるとき、箱に入れ、その建物に納めるためのひな人形がある。これには悲しい由来が伝わっている。
 ある大工事がうまくいかず、飛騨の工匠が大変頭を悩ませていた。それを見かねた彼の娘が知恵を出した結果、工事は無事終了する。ところが工匠は感謝するどころか、素人に教えられたことを恥だと思い、娘を殺してしまう。
 その因果か、彼の建てた建物には必ず変事が起こるようになった。そこで棟上げの時、建物に娘の人形を納めると怪異はやんだ。
 孝行娘が報われないとは、何とも哀れな話である。娘を似せて作ったおひなさまは、無念のうちに亡くなった娘の魂を供養する役割を果たしたのであった。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

「お七夜雛,閑所雛,棟上雛」(『民間伝承』)

第98回

春の花・梅

 今回から2回、春の花にまつわる悲劇をお伝えする。戦国時代、信濃(長野県)の武将が梅の名所で知られる寺を訪れた。梅に見とれていると、女の子を連れた見慣れぬ女が現れた。やがて2人は白梅を歌に詠みかわしながら、心を通わせる。だが知らぬ間に眠った武将が翌日目を覚ますと、女の姿は消えていた。
 女を慕いつつも武将は次の日、戦場で命を落としてしまう。そしてその想いに応えるように、寺の梅は花を咲かせなくなった。
 女は梅の精霊だったのだろう。人と精霊のあわい恋は悲劇に終わったが、ほんのりと暖かい印象も残る話だ。平安時代以前は花といえば梅、それも白梅を指すほど愛されたという。その高貴なイメージが、和歌をたしなむ淑女に仮託されたのか。恋人を失うと、春も忘れてしまう一途な梅の精に。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

「伊那の伝説」(『伊那』)

第99回

春の花・桃

 昨今の幽霊話には、うらめしさ、まがまがしさを感じさせる話ばかりが多いが、これは現代のみの感覚であろう。
 宮城県に伝わる話。ある領主の姫君が、足軽と相思相愛の仲になる。身分違いの恋の成就のため、姫は3年の間、こもりきりで曼荼羅(まんだら)を織り上げる。しかし父は激怒、姫は現世で叶わぬ恋ならば来世に望みをかけると、沼にその身を投じてしまう。
 それから姫が自殺した桃の節句になると、機織りする姫の姿が沼の上に浮かび上がり、通る者に、にこりとほほえむのだという。
 3年がかりでも恋が実らなかったのだから、無念な気持ちであったろう。幽霊になってもほほえみを絶やさない姫は、けなげでもあり、しんの強ささえ感じさせる。桃の花言葉に「気立てがいい」があるのも、偶然の符合である。

(日文研妖怪DB班・石田有沙)

「栗駒物語」(『季刊民話』)

第100回

百物語

「百物語」といえば、今は怪談を集めたものといった程度の意味しか持っていない。
 だが、近世初期には夜分に気心が知れた者たちが集り、灯心を百ともし、恐ろしい話を一話語るごとに灯心を一つ消し、語り終わると、真っ暗になった部屋に怪異が生じる、という俗説にのっとってなされた「怪談会」のことであった。つまり百話語って怪異の出現を待つところに意味があった。
 近世にはたくさんの「百物語集」が編さんされたが、その中には百物語をした末に生じた怪異の話も載っている。意外に思われるだろうが、その怪異は幽霊などの示唆で幸福・金品を得ることになったというめでたい怪異が多い。
 この「異界の杜」も今回でちょうど百話目の最終回、さてどんな「怪異」が訪れるのだろうか。

(日文研妖怪DB班長・小松和彦)

「異界の杜」は今回で終わります。