松室(まつむろ)
 仲算上人(ちうさんしやうにん)の児(ちご)

 上人(しやうにん)に事(つか)へる児(ちご)某(なにがし)はその容貌(ようぼう)麗(うるハ)しくして法華経(ほけきやう)をよく読(よミ)しが風与(ふと)失(うせ)けり捜(さが)せどもしれざりしが一時(あるとき)下部山(しもべやま)に入(いり)て薪(たゝぎ)を採(とり)けるにかの児(ちご)はるかの梢(こずゑ)にて法華経(ほけきやう)を読(よん)て居(ゐ)たれバ御児(おんちご)にハあらずやと呼(よび)けれバ如何(いか)にも吾(われ)ハはや仙人(せんにん)となれり汝(なんぢ)これを師(し)に告(つげ)よとあるゆへ急(いそ)ぎ戻(もと)りて斯(かく)と告(つげ)けれバ上人(しやうにん)其処(そこ)へ往(ゆき)て対面(たいめん)をとげ互(たがい)に悦喜(よろこぶ)こと限(かぎ)りなし児(ちご)上人に向(むか)ひて何卒(なにとぞ)御坊(ごぼう)の琵琶(びハ)を賜(たま)へかし毎年(まいねん)三月十八日にハ竹生島(ちくぶしま)におゐて神仙(しんせん)の会(くわい)あれバそれに携(たづさへ)たしといへバ其(その)琵琶(びハ)を樹(き)にかけて戻(もど)り其(その)翌年(よくとし)其日(そのひ)にハ上人(しやうにん)懐(なつか)しき余(あま)り船(ふね)にて竹生島(ちくぶしま)を巡(めぐ)りけるうち虚空(こくう)にてかの琵琶(びハ)の音(おと)聞(きこ)へけるが頓(やが)て船(ふね)のなかへ落(おち)たる物(もの)あり是(これ)を見(ミ)れバ其(その)琵琶(びハ)なれバふかく尊(たつと)びて終(つひ)に此島(このしま)へ納(おさ)めしかば今(いま)に宝物(ほうもつ)と成(なつ)てありこの児(ちご)ハ観音(くわんおん)の応化(おうげ)なれバ験(れいげん)他(た)にこへて今(いま)にあらたかなり

廣重美術館蔵

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