仲太小三郎(ちうたこさぶらう)[法名(ほうめう)性空上人(しやうくうしやうにん)]
 仲太(ちうた)ハ本院(ほんいん)左大臣(さだいじん)時平公(ときひらこう)の孫(まご)時朝大納言(ときともだいなごん)の侍(さむらい)なり此(この)御家(おんいへ)にある目出度(めでたき)御硯(おんすゞり)ハ御昇進(ごしやうしん)の時(とき)ならでハ取出(とりいだ)し玉ハぬを此度(このたび)大納言(だいなごん)に成(なり)玉ひし御悦(おんよろこび)につき取出(とりいだ)し置(おき)て参内(さんだい)ありける御留守(おんるす)に仲太(ちうた)しきりに見度(ミたく)おもひて十歳(さい)にならせらる若君(わかぎミ)をすかして彼硯(かのすゞり)を開(ひら)き拝見(はいけん)の折(をり)ふし御皈(おんかへ)りと告(つぐ)る声(こゑ)に周章(あハて)て取落(とりおと)し破(われ)けれバ猶(なほ)周章(あハて)驚(おどろ)くを若君(わかぎミ)見(ミ)玉ひさな悲(かなし)むまじ若(もし)御咎(おんとがめ)あらバ吾(わが)仕業(しわざ)といへばさのみの御叱(おんしかり)もあるまじと宥(なだ)めけれバ只管(ひたすら)に憑(たの)ミ奉(たてまつ)りしに其後(そのゝち)大納言(だいなごん)硯(すゞり)の破(われ)たるを御僉義(ごせんぎ)の所(ところ)若君(わかぎミ)の業(わざ)とありふかく怒(いか)り給ひて此(この)硯(すゞり)ハ住吉明神(すミよしミやうじん)より大職冠(たいしよくわん)へ与(あた)へ給ふ家宝(かほう)なれば破(わり)たる科(とが)ゆるしがたしとて十才(さい)の若君(わかぎミ)を殺(ころ)し玉へり此時(このとき)仲太(ちうた)悲(かなし)ミにたへず遁世(よをのがれ)て書写山(しよしやさん)に登(のぼ)り性空上人(しやうくうしやうにん)と号(がう)し若君(わかぎミ)の御跡(おんあと)を吊(とふら)ひ法華経(ほけきやう)を誦(じゆ)し此(この)大悲(だいひ)の験(れいげん)を蒙(かうむ)りて終(つひ)に当山(たうざん)を開基(かいき)せしこと不思議(ふしぎ)の因縁(いんえん)なり

廣重美術館蔵

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