多田美丈丸(ただびじやうまる)
 多田の満仲公(まんぢうこう)は当山(たうざん)を祈願所(きぐわんじよ)として堂舎(だうしや)田園(てんゑん)を奇附(きふ)のあまり御子(おんこ)美丈丸を中(なか)の坊(ぼう)において学問(がくもん)をさせ既(すて)に出家(しゆつけ)となさるべきを諾(うけが)ハざれバ家臣(かしん)仲光(なかミつ)をもつて討(うた)しめしに仲光わが子(こ)の幸寿(かうしゆ)を殺(ころ)して代(かハ)りとせしこと美丈丸ふかくかなしミ終(つひ)に出家して源賢僧都(げんけんそうつ)と号(がう)し多田院(たゞのゐん)の住持(ぢうぢ)となりふかく普門品(ふもんぼん)を信(しん)じて族(やから)の後世(ごせ)を吊(とぶ)らハれける又(また)当山(たうざん)の本尊(ほんぞん)ハ上宮太子(しやうぐうたいし)の前生(ぜんじやう)舎衛国(しやゑこく)に在(あつ)て作(つく)り玉ふ十一面(めん)の観音(くわんおん)なれバ我朝(わがてう)観音(くわんおん)の始(はし)めといふべし又(また)一度(ひとたび)巡礼(じゆんれい)するもの重罪(ちうざい)を滅(めつ)して地獄(ぢごく)に堕(おち)ざるといふ閻魔王(ゑんまわう)の印文(ゐんもん)寺中(じちう)の窟(いハほ)の内(うち)に蔵(おさま)る其外(そのほか)の験(れいげん)猶(なほ)あらたなり

廣重美術館蔵

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