東山(ひがしやまの)大工(だいく)某(なにがし)
 京(きやう)東山(ひがしやま)の辺(ほとり)岡崎(おかざき)といふ所(ところ)に住(すむ)大工常(つね)にこの観音(くわんおん)を信(しん)じ崇(たうと)ミ朝暮(あけくれ)よく参詣(さんけい)いたしけるが丹波(たんば)の亀山(かめやま)に住(す)む姨(おば)の十死一生(じつしいつしやう)を告来(つげきた)れバ俄(にハか)に旅(たび)だちの用意(ようい)をしけるにその女房(にようぼう)密夫(ミつふ)とかたらひて焼飯(やきめし)のなかへ毒(どく)をいれ夫(をつと)を殺(ころ)さんと工(たく)ミしにこれを夢(ゆめ)にもしらず大工(だいく)ハ先(まづ)革堂(かうだう)へ参詣(さんけい)して姨(おば)の病(やま)ひ道中平安(だうちうへいあん)を念(ねん)じてそれより丹波路(たんばぢ)におもむき堅木原(かたぎはら)より日(ひ)ハ暮(くれ)て老(おひ)の坂(さか)を越(こへ)んとするとき山陰(やまかげ)より山賊(さんぞく)二人(ふたり)立出(たちいで)て残(のこ)らず剥取(はぎと)れバ裸(はだか)にて亀山(かめやま)に来りその始末(しまつ)をかたる姨(をバ)が子(こ)に亀(かめ)山音右エ門(おとゑもん)といふ角力(すまふ)ありてこれを聞(きゝ)すぐさまその着類(きるゐ)を取(とり)かへしに連立(つれだち)ゆきて見(ミ)るにその両人(ふたり)の山賊(さんぞく)かの毒飯(どくめし)を喰(くら)ひてその辺(ほとり)に血(ち)をはいて死(しゝ)て居(ゐ)たるが故(ゆへ)うバゝれし衣類(もの)等ハ残(のこ)らずとりかへせしとなり普門品(ふもんぼん)に咒詛諸毒薬(のろひもろ/\のどくやくに)所欲害身者(ミをがいせられんとするもの)念彼観音力(かのくわんおんりきをねんずれバ)還著於本人(かへつてほんにんにつく)トあるハ此等(これら)のこと也その女房(にようぼう)も密夫(ミつふ)もともに悪瘡(あくさう)生(しやう)じてほどなく業死(がうし)せしといふ恐(おそ)るべきこと也

廣重美術館蔵

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