後白河院(ごしらかハのいん)
 帝(ミかど)常(つね)に御頭痛(おんづつう)の御悩(ごのふ)あれバ熊野(くまの)へ御幸(ミゆき)あつて祈(いの)らせ玉へバ権現(ごんげん)の告(つげ)に洛陽(らくやう)因幡堂(いなばだう)の薬師(やくし)ハ天竺(てんぢく)より降(あまくだ)りたる尊像(そんぞう)なれバこれへ祈(いの)れとありこゝにおゐて永暦(えいりやく)二年二月廿二日因幡堂(いなばだう)に御参籠(ごさんろう)ありて祈(いの)り玉へバ夢中(むちう)に貴僧(きそう)あらハれて帝(ミかど)の前生(ぜんしやう)ハ熊野(くまの)の蓮花坊(れんげぼう)といふものにて六十六部(ぶ)の経(きやう)を日本(につほん)廻国(くわいこく)して奉納(ほうのう)したる功力(くりき)によつて帝位(ていゐ)に生(むま)れりしかれども前生(ぜんしやう)の髑髏(どくろ)岩田川(いわたかハ)の水底(ミなそこ)に沈(しづ)ミてありその目穴(めのあな)より柳(やなぎ)おい出(いで)て今(いま)ハ大木(たいぼく)となり風吹(かぜふけ)バ動(うごく)がゆへ今(いま)の御身(おんミ)に応(こたへ)て頭痛(づつう)あるなり急(いそ)ぎ取(とり)あげなバ平癒(へいゆ)せりとつげらるその水底(ミなそこ)をたづねさせ玉へバ告(つげ)のごとくなれバその柳(やなぎ)の木(き)にて観音(くわんおん)の像(ぞう)を刻(こく)してその中(なか)へその髑髏(とくろ)をおさめさせ玉ひ得長寿院(とくちやうじゆいん)をあらためて頭痛山(づつうさん)平癒寺(へいゆじ)蓮花王院(れんげわういん)となさせられたるハふしぎの験(れいげん)なり

廣重美術館蔵

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