大津町(おほつまち)杉女(すぎぢよ)
 杉女(すぎぢよ)ハ当町(たうまち)富家(ふか)の婢(ミづしめ)にてありけるがいかなる宿縁(しゆくえん)にや観音(くわんおん)を幼(おさなき)より信(しん)ずること深(ふか)くして三井寺(ミゐでら)にあるとあらゆる観音(くわんおん)に毎月(まいけつ)御縁日(ごえんにち)にハ風雨(ふうう)の夜(よ)といへどもかゝすことなく参詣(さんけい)するを主人(あるじ)をはじめ傍輩(はうばい)ともゝさゝやき笑(わら)ひけるが其頃(そのころ)大津中(おほつぢう)に瘧(おこり)流行(はやり)て一人(ひとり)もこの病(やま)ひに遁(のが)るゝものまれにて既(すで)に家内(かない)三四十人ミな煩(わづら)ひけるにこの杉(すぎ)ばかり片時(かたとき)も伏(ふ)さずこゝにおいて皆(ミな)仏力(ぶつりき)の尊(たつと)きことを感(かん)じて皆々(みな/\)信心(しん゛/\)をおこしぬ又あるとき杉(すき)天井(てんじやう)の上(うへ)にある薪(たきゞ)をおろさんと梯子(はしご)を登(のぼ)りしところ遥(はるか)のうへより二三十束(そく)の大薪(おほざい)崩落(くつれおち)かゝりて梯子(はしご)ハくじけ上(うへ)より真倒(まつさかさま)に石臼(いしうす)の上(うへ)へおち其上(そのうへ)へあまたの薪(たきゞ)おちかさなりしかど聊(いさゝか)の怪我(けか)もなく助(たす)かりたることの不測(ふしぎ)さに身(ミ)うちをあらため見(ミ)しところ入置(いれおき)たる覚(おぼへ)もなき如意輪(によいりん)の尊像(そんぞう)ふところより出(いで)いよ/\信心(しん゛/\)をぞなしけるそれ普門品(ふもんぼん)の偈(げ)に堕落金剛山(こんごうせんよりおつるとも)念彼観音力(かのくわんおんりきをねんずれバ)不能損一毛(ひとすじのけもそんぜず)トあるは誠(まこと)にあり難(がた)き事(こと)なり

廣重美術館蔵

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