山州(やましろ)綺田村(かハだむら)農女(のうぢよ)
 昔(むかし)綺田村(かハだむら)の農夫(のうふ)常(つね)に仏道(ぶつだう)を信(しん)じ一人(ひとり)の娘(むすめ)を持(もて)り此(この)娘(むすめ)幼(いとけな)きより普門品(ふもんぼん)を誦(じゆ)して三室戸寺(ミむろどじ)の観音(ミほとけ)を信(しん)じけるゆゑ更(さら)に殺生(せつしやう)をせず一日(あるひ)村人(むらびと)蟹(かに)を取(とつ)て殺(ころ)さんとするを見(ミ)家(いへ)の乾魚(ひもの)ととり換(かへ)て其蟹(そのかに)を放(はな)つ其父(そのちゝ)耕作(たがやし)に出(いで)て蛇(へび)の蟇(かへる)を呑(のむ)を見(ミ)つけ是(これ)を放(はな)ちやらんとすれども免(ゆる)さず戯(たハむ)れにその蟇(かへる)を放(はな)たバ我娘(わがむすめ)を与(あた)んといへバ呑(のミ)かけし蟇(かへる)を免(ゆる)して藪(やぶ)のうちへ去(さり)りしが其夜(そのよ)人に化(け)して約束(やくそく)の為(ため)来(きた)りしといふ父(ちゝ)ハ驚(おどろ)きて取(とり)あへず二三日経(へ)て来(きた)れと答(こた)へけれバその夜(よ)ハ去(さ)りしが又三日を経(へ)て来(きた)る其時(そのとき)娘(むすめ)ハ一間(ひとま)を閉(とぢ)て一信(いつしん)に観音経(くわんおんぎやう)を誦(よミ)日頃(ひごろ)信(しん)ずる三室戸寺(ミむろどじ)を念(ねん)じけるにかの蛇(へび)の変化(へんげ)尾(を)をもつて室(しつ)の戸(と)を破(やぶ)り入(いり)既(すで)に危(あやう)き時(とき)しも忽然(こつぜん)と数多(あまた)の蟹(かに)現(あらハ)れてその蛇(くちなハ)をはさみ斬(きり)て去(さ)る是(これ)に因(よつ)て其地(そのち)を寺(てら)とせり即(すなハ)ち蟹満寺(かにまんじ)これなり

廣重美術館蔵

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