藤井安基(ふぢゐやすもと)
 安基は大和国(やまとのくに)賀留(かる)の里(さと)人にて放埒邪見(はうらつじやけん)の者(もの)なり或時(あるとき)河内(かハちの)国平石(ひらいし)の辺(へん)にて鹿(しか)を猟(かり)その山の堂(だう)に入(いつ)て仏具(ぶつぐ)を爼板(まないた)薪(たきゞ)として其(その)肉(しゝむら)を煮(に)て喰(くら)ひしが俄(にハか)に死(し)して火車(くわしや)に乗(のり)地獄(ぢごく)の責(せめ)におちいりしところ童子(どうじ)一人現(あら)ハれて是(これ)を救(すく)ハんとする獄卒(ごくそつ)ども彼(かれ)ハ仏道(ぶつだう)を穢(けが)せし逆罪(ぎやくざい)の者ゆへ遁(のが)るべからずと童子重(かさ)ねて罪人(つミびと)といへども彼(かれ)ハ一度(ひとたび)吾住(わがすむ)長谷寺(はせでら)再建(さいこん)の材木(ざいもく)を引たる善根あり速(すミやか)に閻浮(ゑんぶ)にかへし給へと聞(きこ)へしかバ疾(とミ)に活(いき)かへり夫(それ)より改心(かいしん)して南都(なら)に登(のぼ)り行基(ぎやうぎ)菩薩(ぼさつ)の弟子(でし)となりて長谷観音を刻(きざミ)たる木(れいぼく)の余(あま)りをもつて此尊像(そんぞう)を造(つく)りたるを聖武帝(しやうむてい)聞(きこ)しめされて行基を以(もつ)て開基(かいき)とせらる安基が因縁(いんえん)にて藤井寺といへども実ハ金剛寺といふまことに不思ぎの験思見るべし

廣重美術館蔵

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