金商人 大倉信満
 信満は奥州の者で、毎年都へ商売に行くたびに熊野へ参詣し、それは三十三度に及ぶ。「その供養として観音の像を造りたい」と念じたところ、奥州永井の文殊菩薩が童子に化現し、神木の榎を用いて十一面観音の像を造って与えられた。信満は歓喜のあまり、奥州から三百金を取りよせて御室の辺で供養した。そして故郷へ持ち帰る途中、美濃国垂井の庄(今の谷汲)で仏像が重くなり、盤石のようになって動かすことができなくなった。「ひょっとするとここが仏縁の地なのではないだろうか」と、そこで当所に御堂を建立したところ、実に霊験は日々にあらたかで、そこが三十三番の結願所となった。西国順礼は、花山法皇が長徳元年三月十五日に熊野に至り、六月朔日にこの谷汲へおいでになった。この七十五日間を、人々は順礼のはじめとしたのであり、その功徳は広大である。いずれの仏にも慈悲のないものはないが、観音は大慈大悲の菩薩でいらっしゃるので、深く信心をするべきである。本当に畏れ多いことである。

廣重美術館蔵

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