多田美丈丸
 多田満仲公は当山を祈願所として堂舎、田園をご寄付された折、子供の美丈丸を中の坊で学問させた。美丈丸はすでに出家すべきところ承諾しなかった。家臣の仲光に美丈丸を殺させようとした時、仲光が自分の子の幸寿を殺して、その代わりとしたことを美丈丸は深く悲しんで、ついに出家して源賢僧都と号し、多田院の住職となり、深く『観音経』を信じ、一族の後世を弔われた。また、当山の本尊は聖徳太子の前世、舎衛国にいらっしゃった時に作られた十一面観音であるので、これは、日本での観音の始めである。また一度巡礼する者は重罪を滅し、地獄に堕ちないという閻魔王の印文が寺中の窟の中に納められている。そのほかの霊験ますますあらたかである。
 

廣重美術館蔵

(C) 2001 International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, Japan. All rights reserved