空也上人
 天暦五年の春、洛中で疫病が非常に流行し、たくさんの死体が巷にあふれ、多くの人々の悲しみは言うに及ばないものであった。このことを空也上人は深くお歎きになり、自ら十一面観音の像を刻み、心をこめて祈り、尊像を車に乗せて市中を引きまわり、信心をすすめていた。すると、一度まわった町の人々の疫病がすぐに治ったので、他の人々も観音の妙智力を深く尊んで、ついに当寺を開き、その尊像を本尊とした。疫病流行の時、観音へ供えた典薬を病人に飲ませたところ、一人として治らない者はいなかった。そのことを村上天皇がお聞きになり、篤く信仰されて、その典薬を吉例として毎年正月三ヶ日にお飲みになった。それ以来、人々もこの例にならって王服と号し用いたのは、一年の間、疫病にかからないためということである。
 

廣重美術館蔵

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