閑院左大臣冬嗣公
 大織冠藤原鎌足より五代の子孫、長岡右大臣藤原内麻呂は、同族の繁栄を弘法大師に御尋ねしてみたところ、真言秘密蔵のうち不空羂索観音像をお選びになった。しかるべき所に御堂が建たないうちにお亡くなりになり、その子、冬嗣公は先功を継ぎ、弘仁四年にその地へ一千躰の小観音の像を地中に納められた。その時に、春日大明神が雇い人の中に交わって土石をお運びになり、藤原氏の繁栄をお祝いになった。
 御神歌に、補陀落の南の岸に堂建て今ぞ栄えん北の藤波(補陀落山の南の岸にお堂を建て、今や栄えんとする藤原北家)

廣重美術館蔵

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