光明皇后
 当国和泉郡浦田に智海上人という人がいた。宮里の滝山に仏乗を信じて住んでいた時、雌鹿が来て智海上人の尿を嘗めたところ、子を孕み、女の子を産んだ。智海上人はその女の子を見て捨て難かったので、隣家の嫗に養育をさせていたが、その家は、元来貧しい農家であった。この女の子が七才になった五月、嫗と共に田の苗を植え付けていた時、都から藤原不比等が勅使としてこの槇尾寺に参詣なさった。不比等はそこで観世音の不思議な力から霊感を得て、帰路につく時、この女の子を見ると、白玉の肌から光が放っていたので、急に尊ぶ気持ちがおこり、嫗に女の子を頂けるよう命じてその女の子を連れ帰り、帝のおそばに仕えさせたところ、御寵愛が深く、天平元年八月に皇后におなりになった。すなわちこの方が光明皇后であり、御身の仏縁が深いゆえ、ことさらに仏法を信仰され、数多く精舎を建立なさったことは、不思議な霊験である。

廣重美術館蔵

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