和泉式部
 西国三十三所の霊場は、歴代の天皇もご尊敬あそばして、行幸された。なかでも後白河院は三十三度ご参詣になられた。その時、熊野権現の御神歌に、
 「うろよりもむろに入ぬる道なれば 是ぞ仏の御国なるべき」
 (煩悩を離れ菩提に入るべき熊野参詣の道ゆきであるから、まさにここが仏の浄域である)とのご託宣を下された。
 またこれ以外にも一首の霊歌がある。和泉式部は熊野参詣のおり、麓で月の障となり、「晴やらぬ身のうき雲のたなびきて 月のさはりとなるぞかなしき」
 (晴れることのない心身を象徴するように浮き(憂き)雲がたなびき、月の障りが起きて参詣できないことのかなしさよ)
 と詠じ伏したところ、その夜の夢に、
 「もとよりもちりにまじはる神なれば 月のさはりは何かくるしき」
 (熊野権現はもとより和光同塵を旨とする神である。それゆえなぜ月の障りが参詣のさまたげとなることがあろうか)
 熊野権現じきじきのご返歌であるため、和泉式部は意のままに参詣を遂げることができた。このような霊験譚は諸文学をはじめ、数えると枚挙にいとまがない。詳細は、私の『観世音略伝図絵』に記してある。

廣重美術館蔵

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