廣重美術館蔵

〔御詠歌〕
父(ちゝ)はゝのめぐみもふかき粉河寺(こかハでら) 仏(ほとけ)の誓(ちか)ひたのもしきかな


丈六堂
  五間重層、入母屋造、本堂の南東の方角、壇の下にある。

アカ井(閼伽井)
 切妻造、納札所(六角堂)の後にある。

納札所
 前半部を吹放し、宝形造、本瓦葺、六角堂のことをさし、本堂の東にあり、順礼の札納堂。

礼堂
 天正年間の罹災前は本堂と礼堂は別棟で、桁行九間・梁行五間、三方に縁をとる。その後の罹災により享保五年(1720)に再建され、桁行九間・梁行四間となり、本堂と逆凸型字型の平面をなしている。

千手堂
 本尊千手観音を安置する。『粉河寺旧記』によると、宝亀元年(770)に一丈四方の草堂をつくり、翌年小堂とし、その後、堂内に六角の龕室(厨子か)を造立したとある。現在の堂は享保五年(1720)に再建、前方外陣部分は桁行九間・梁行四間、後方の内陣部分は桁行七間・梁行四間。内部は内陣が外陣の棟通りまで突出し、この両端部に方二間の部屋をとる。外観は前方に単層・入母屋屋根を架け、後方は重層・入母屋造、正面に軒唐破風を飾り、裳階が付く。

若一
 春日造、鎮守神社、本堂の後方上にあり、若一王子を祀る。

丹生
 春日造、鎮守神社、本堂の後方上にあり、丹生明神を祀る。
 

金堂
 『粉河寺旧記』によると、金堂は天正十三年(1585)の罹災で焼失をまぬがれ、桁行七間・梁行五間の建物であったことが記されている。なお、旧開帳堂であったため『西国三十三所名所図会』では、本位置は千手堂と記るされ、説明では「御位牌堂 本堂の西にあり。邦君御代々の御位牌を納める。」とある。

御供所
 本堂の南西の方角にあり、本堂及び鎮守諸社諸堂へ献備の供物を調進したり、貴人が参籠したときに休息する所。


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