第二十八番石龍山橋立寺
埼玉県秩父市上影森675

宗派=曹洞宗
札所本尊=馬頭観音
開山=弘法大師
開創年代=不詳


 境内に入ると、高さ六十五メートルの切り立った大岩壁が迫ってくる。その下部は、えぐれた形になっていて、およそ十二万年前の古代人の住居跡とされており、岩陰遺跡と呼ばれている。
 朱塗りの観音堂は、この大岩壁の下に建っている。本尊の馬頭観音は、随身像とともに鎌倉時代の作である。また、本尊に由来して、観音堂の右の小堂には、左甚五郎作と伝えられる馬の像が納められており、観音堂脇には馬の銅像も立てられている。
 『秩父回覧記』によると、弘法大師は高野山にいたころ、わが国には必ず金胎両部の浄土があるはずだと考えていた。ある日、金色の老人が現れて、「秩父の橋立という山に行くように」と告げた。さっそく当地に来たところ、再び老人が現れ、その案内で岩洞のなかに入ると、金胎の諸仏の姿を感得することができた。大師は、この地こそが金胎両部の浄土だと感じ、馬頭観音を刻んで、堂宇を建立したという。
 縁起に現れる岩洞は、橋立鍾乳洞と呼ばれており、当寺の奥の院になっている。長さ百数十メートルあり、古くから胎内巡りと称して、西から入って東へ抜けるコースをとる。洞のなかには、鍾乳石や石筍、石柱があって、大黒、弁天、仁王の足などの名前がつけられている。
 橋立観音は、修験者によって創建されたと推定され、長享二年(1488)では、第八番札所だった。江戸時代には、大宮郷の本山派修験である今宮坊の持堂とされており、明治の修験道禁止まで、修験者が管理し続けた札所である。

朱鷺書房蔵

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