第二十五番岩谷山久昌寺[岩屋堂・御手判寺]
埼玉県秩父市久那2215

宗派=曹洞宗
札所本尊=聖観音
開山=不詳
開創年代=不詳


 『秩父三十四所観音霊験円通伝』によると、鬼が住むと里人に恐れられていた山に入った行脚の僧が、岩屋の前で母親の遺体にすがって泣いている娘に出会った。鬼といわれた母親の素性を聞いて、一切の事情がわかったので、娘をつれて里に下り、里人たちと力を合わせて堂宇を建立。僧が持っていた行基菩薩作の聖観音を、本尊として安置したとされている。
 現在の観音堂の脇には、崩れた岩屋の跡があって、『新編武蔵風土記稿』に「堂後に盤石あり、古は岩窟にてその中に安ずと云」と記されているので、この岩屋に祀られていたのだろう。そのため、第十一番札所とされた『長享二年秩父観音札所番付』では、岩屋堂と称したと思われる。
 別当の久昌寺は、「曹洞宗、大宮郷広見寺末、本尊弥陀を安ず、恵心僧都の作」と『新編武蔵風土記稿』に記し、広見寺の五世真雄正顛(1572年寂)を開山としている。岩屋堂の近くに創建された久昌寺は、岩屋倒壊の後に観音堂を建立し、管理権を入手したと考えられる。現在、観音堂と久昌寺の間には弁天池があり、そこから観音堂の屋根を越えて、武甲山を望むことができる。
 また、伝説では、秩父巡礼開創の折、播磨国書写山の性空上人が冥府に招かれた。そして、一万部の経典を誦し、閻魔王から証文と石の手判を授けられたといわれている。性空上人は、証文を西国第二十四番中山寺に納め、手判を当寺に納めた。そのため、御手判寺と呼ばれている。この時のものとされる手判が現在も伝わっており、和紙に刷った物を授与している。

朱鷺書房蔵

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