第二十四番光智山法泉寺[白山別所]
埼玉県秩父市大字別所1586

宗派=臨済宗南禅寺派
札所本尊=聖観音
開山=泰澄大師
開創年代=不詳


 百十六段の急な石段を一直線に登ると、正面に観音堂がある。山門はなく、観音堂の前面が山門のようになっていて、左右に張り出した小部屋に、仁王像が厨子に収められている。札所本尊の聖観音は、宋風の坐像で、室町時代の作である。
 伝説では、毘盧遮那の仏勅によって、泰澄大師が加賀の白山を勧請したといわれている。養老元年(717)、泰澄大師が白山の絶頂に至ると白山妙理権現が出現、さらに近くの池で観音を感得した。「武蔵国秩父に赴いて仏法を弘通すべし」と告げて、観音は飛び去ったため、大師も当地に訪れ、観音像を安置し、妙理権現を祀って奥の院とした。本尊は、日の神または天照大神の作と伝えられている。
 『長享二年秩父観音札所番付』では第十二番札所であり、白山別所と記されているところから、白山系修験者によって奉祀されていたものと思われる。当時は、白山の本地仏である十一面観音が、札所本尊として安置されていた。それが、いつしか聖観音に変更されたことになるが、文明十八年(1486)の聖護院門跡道興准后の関東巡錫に影響されて、別当の明星院が本山派に転じて今宮坊の配下となり、さらに聖護院直末に昇格する経過のうちに行われたのだろう。
 明治五年(1872)の修験道禁止によって、石段の下にあった明星院は廃寺となる。その後、田村郷円福寺の末寺となるが、実質的には地元住民が管理してきた。
 なお、「堂の艮にあり、巽向」と『新編武蔵風土記稿』に記された白山権現社は、明治初年に観音堂の西南の小山に移されて、白山神社として現存している。
 

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