第二十二番華台山永福寺[童子堂]
埼玉県秩父市寺尾3595

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=聖観音
開山=遍照僧正
開創年代=不詳


 矢之堂から、武甲山を望む広々とした畑のなかの田舎道を行くと、高い台座の上にすわった石の地蔵尊が見えてくる。ここを左に曲がって、小さい橋を渡ったところが参道である。参道の正面には、茅葺きの仁王門があり、大きな眼を見開いたユニークな仁王像が祀られている。この顔が童子のようなので、童子堂と称するともいう。
 長享二年(1488)当時は第十八番札所であり、「童部堂」と記されている。
 縁起によると、伊予親王の菩提のため、遍照僧正が領主に命じて、清水山に弘法大師作(一説に行基作)の観音像を安置したとされる。延喜十五年(915)子供の疱瘡が流行した時、観音のお告げによって府坂に移すと病は下火となったため、童子堂と呼ばれるようになったという。
 府坂とは、現在の第二十一番矢之堂から童子堂へ向かう途中を右折して、長尾根丘陵を西に越える府坂峠のことである。峠の途中に、杉に囲まれた平地があり、半壊した六地蔵石仏が並んでいる。ここが童子堂の旧地とされており、明治四十三年(1910)に現在地に移転した。
 『新編武蔵風土記稿』には、「栄福寺持」と記されている。栄福寺(現在は永福寺)については、「西陽山と号す、新義真言宗、榛原郡本郷村東陽寺の末、本尊弥陀を安ず、開山南光寂年月を伝へず」という。童子堂入り口の地蔵尊から道路を隔てた反対側に栄福寺があったというが、わずかに「虚空蔵菩薩」と刻んだ自然石の小碑を残すにすぎず、現在では童子堂の隣にある建物を永福寺本堂と称している。

朱鷺書房蔵

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