第二十一番要光山観音寺[矢之堂]
埼玉県秩父市寺尾2352

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=聖観音
開山=不詳
開創年代=不詳


 慶長三年(1598)写「武州秩父郡寺尾村矢之堂観世音縁起并序」によると、八幡大菩薩が邪神を射た矢が落ちた場所のため、矢之堂と呼ばれたといわれている。また、『新編武蔵風土記稿』には、別の説が記されており、かつて矢納村にあったものを、当地に移したとされる。矢納村については、日本武尊あるいは平将門が矢を納めたことに由来しているという。
 現在の境内の入り口には、道路に面して石柱があるだけで、門や石段はない。村の公会堂のような本堂のみが建っている。
 『長享二年秩父観音札所番付』では第十九番札所であり、「谷之堂」と記されている。 延享元年(1744)沙門円宗著『秩父独案内記』には、「高みなり、山下に茶屋あり、是より山にかかる」とあり、享和三年(1803)に巡礼した沓懸なか子の『東路の日記』には、「廿一ばん矢の堂別当観音寺石のきだ二十斗にて上る」とあるので、高地にあったと思われる。さらに、文政六年(1823)竹村立義著『秩父霊場参詣記』の挿図に、第二十一番から第二十四番までの観音堂を、丘陵の中腹や頂上に並べて描いているところから、矢之堂は江戸時代末期まで、現在地よりも山手、長尾根丘陵の東北端あたりに祀られていたものと推測される。
 『新編武蔵風土記稿』によると、矢之堂は「観音寺持」とされており、観音寺は「新義真言宗、那賀郡小平村成身院の末、本尊弥陀を安ず、開山元珍寂年月を伝えず」と記されている。現在では、札所観音堂と持寺は同じ建物に同居しており、住職もなく地元の人々によって護られている。

朱鷺書房蔵

(C) 2001 International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, Japan. All rights reserved