第二十番法王山岩之上堂
埼玉県秩父市寺尾2169

宗派=臨済宗南禅寺派
札所本尊=聖観音
開基=白河院
開創年代=不詳


 第十九番札所からは、荒川の対岸に当たり、河に面した岩盤の上に建っている。明治十八年(1885)に秩父橋が完成するまでは渡船があり、船着場から石段を上って参拝した。
 白河院の勅願によって、聖徳太子作の観音像を安置したと縁起に伝えられる。
 『秩父三十四所観音霊験円通伝』によると、応仁年間(1467〜69)には堂宇は破却され、本尊のみが岩の上に立っていたため、岩ノ上観音と称するようになったとされ、後に北条氏邦によって華麗な堂宇が再建された。しかし、「岩上堂建立の趣旨」には、天文永禄の乱(1546・1569)によって、灰燼に帰したと記されている。以来、二間四面の小堂に祀られていたが、延宝六年(1678)内田武左衛門尉政勝の発願により、二十六年の歳月をかけて、元禄十六年(1703)現在の観音堂が再建された。
 境内には、熊野権現社が現存しており、山伏の古装束も伝わっている。本尊は藤原時代の作であり、かなり古い時期に熊野系修験者によって草創されたものと推定される。長享二年(1488)当時から第二十番であり、秩父巡礼開創以来、札所番付に変動のない、唯一の札所である。
 また、『新編武蔵風土記稿』には、「里正左膳持」とするだけで、別当寺院や宗派、本末関係を記していない。修験者によって祀られたであろう岩上観音は、戦国時代末期に当地に居着いた内田氏によって管理されるようになり、個人持堂とされた。内田氏は、江戸時代の寺請制度により、田村郷の円福寺の檀家となったため、明治の修験道禁止によって、臨済宗に属するようになった。

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