第十二番佛道山野坂寺[野坂堂]
埼玉県秩父市野坂町2−12−25

宗派=臨済宗南禅寺派
札所本尊=聖観音
開基=甲斐の商人
開創年代=不詳


 桜並木の参道の正面に、享保年間(1716〜35)建立の楼門がある。左右の花頭窓をのぞくと、なかに十王像が祀られており、楼上には薬師如来を安置している。
 境内裏山の中腹、武甲山が大宮郷に向かって張り出したところに、かつて観音堂があったと伝えられる狭い平地があり、現在は地蔵石仏が祀ってある。武甲山頂に通じる小径も確認でき、延享元年(1744)に沙門円宗が刊行した『秩父独案内記』には、「山手なり、奥の院は後の山にあり、武甲山への道あり」と記されている。
 最初、修験者によって祭祀されたものと推定され、長享二年(1488)当時は第五番札所だった。後に、啓室達(1682年寂)が創建した別当の野坂寺が、寛保元年(1741)現在地に移転して、観音堂を併合している。
 昔、山中で賊に襲われた甲斐の商人が、観音の霊験によって救われ、賊も改心した。そして、賊と協力して堂宇を建立し、商人が本国から持ってきた聖徳太子作の聖観音像を安置したという。
 また、『秩父回覧記』によると、行基菩薩が荒川のあたりで読経していたところ、物部守屋追討の時、聖徳太子が一刀三礼して刻んだ聖観音が出現し行基のたもとに飛び移ったとされる。
 子安観音として古くから信仰されている札所本尊だが、像容から判断すると、本来は吉祥天として制作されたものと思われる。藤原時代の作となる古像であり、室町時代には聖徳太子作の観音像として、信仰されていたのだろう。

朱鷺書房蔵

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