第七番青苔山法長寺[牛伏]
埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬1508

宗派=曹洞宗
札所本尊=十一面観音
開山=行基菩薩
開創年代=不詳


 簡素な山門を入ると、平賀源内の原図によって設計されたという本堂があり、内陣の欄間には同じく源内の原図による讃岐志度寺縁起の彫刻が掲げられている。間口十間、奥行き八間、秩父札所のなかで、最も大きな本堂である。
 別当の法長寺は、天正二十年(1592)釈迦如来を本尊として涼室寒清が開いた。牛伏観音は、現在地から横瀬川を隔てた、牛伏と通称されている地区にあったと考えられ、長享二年(1488)当時は第三十二番札所だった。天明二年(1782)に焼失して、仮に別当寺の本堂に移したが、観音堂は再建されることはなかった。
 縁起によると、行基菩薩が自刻の観音像を有縁の地に安置しようと、背負って巡錫していた。当地まで来ると、石のように重くなったため、安置して旅立って行った。
 年月を経て、数人の牧童がこの山で草を刈っていると、一頭の牛が突然現れて、伏して動かなくなった。その夜のこと、観音が現れて「これより坤の方の林のなかに庵を結び我を安ぜば、必ず罪悪の衆生を済度すべし」と告げた。翌朝、牧童たちが草のなかを探すと、十一面観音が立っていたので、草堂を造り祀ったという。
 また一説には、承平二年(932)花園左衛門の家来某が、平将門の乱で戦い、敗れて当地で没した。しかし、悪心をもって将門と戦ったため、牛に生まれ変わってしまった。それを知った妻が観音に祈願したところ、夫は苦しみから逃れることができたという。本堂の前には、縁起にもとづいて、うずくまった牛の石像がある。

朱鷺書房蔵

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