第五番小川山長興寺[語歌堂]
埼玉県秩父郡横瀬町大字横瀬6086

宗派=臨済宗南禅寺派
札所本尊=准胝観音
開基=本間孫八
開創年代=不詳


 第四番札所から一・三キロ。左手に長興寺の石碑がある。ここを左に曲がると別当の長興寺、まっすぐ進めば仁王門を有する第五番語歌堂に至る。
 昔、本間孫八という人物が、慈覚大師作の准胝観音を安置するための堂宇を、私財をなげうって建立したのに始まるという。ある日、一人の旅人がこの堂に籠もって、孫八と和歌の奥義について語り合った。夜が明け始めたころ、聖徳太子と片岡山の化人との問答に話が及んだ時、突如として旅人は姿を消してしまった。孫八は、旅人が救世観音の化身だったことを悟り、観音堂を語歌堂と名付けたと伝えられる。
 年月を経て、語歌堂が朽ちかけていたころ、行方不明となった養女を捜して、信濃国の老婆がやってきた。そして観音の霊験により、養女と再会することができたので、里人とともに語歌堂を再建した。以来、子返しの観音と呼ばれるようになったという。
 『長享二年秩父観音札所番付』では五閣堂と称し、第二十六番札所だった。札所本尊も現在と異なり、十一面観音となっている。また、「五かの堂引地一件の次第記」などによると、文化六年(1809)と文政三年(1820)の二度にわたって、別当の長興寺が語歌堂を境内に引き入れようとしたが、いずれも地元住民の反対のため却下された。そのため現在も、札所と別当が離れたところに境内を有している。
 なお、別当の長興寺は、円福寺の竹印松岩(1464年寂)が開山となり、元は根古屋の城谷にあったが、寛永五年(1628)現在の宮ノ下に移った寺院である

朱鷺書房蔵

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