第二番大棚山真福寺[大棚]
埼玉県秩父市大字山田3095

宗派=曹洞宗
札所本尊=聖観音
中興開山=大棚禅師
開創年代=不詳


 第二番札所は、標高六百六十五メートルの高篠山の中腹にある。第一番札所から山道を登ること約四十分、明治四十一年(1908)に再建された観音堂に達する。
 縁起によると、行基菩薩が山中の岩窟に籠もって、霊木で聖観音を刻み、村人と協力して堂宇を建立したのに始まるという。
 弘仁年間(810〜824)のこと、当地において唐僧恵元義空禅師が、毒蛇を化度して堂塔を修復。以来、禅師を中興開山とし、大棚禅師と呼ぶようになった。また、大棚禅師が老後、鬼丸窟にて参籠していたところ、鬼女が毎晩通ってきて観音を拝した。禅師が破地獄の文と三帰戒を授けると、歓喜した鬼女は竹杖を置いて、いずこかに去って行ったといわれる。
 縁起に語られる鬼丸窟とは、小字鬼丸にあった岩窟で、現在は崩壊した岩窟の跡と思われる巨岩が残っている。おそらく修験者によって鬼丸窟に奉祀されていた観音は、岩窟倒壊の後に大棚の古堂に移され、大棚観音と呼ばれて真福寺と号するようになった。
 長享二年(1488)の段階では、札所から外れている。その後、札所への加入を主張し、その打開策として日本百観音巡礼が考え出されたと推定される。
 天文年間(1532〜55)に鎌倉建長寺の春沢香梅が、光明寺を山田に移して中興開山するにともなって、真福寺はその傘下に入った。天正十五年(1587)光明寺は曹洞宗に改宗、宝暦八年(1758)現在地に観音堂が移転した。真福寺から山を下り、第三番札所への途中に光明寺があって、第二番の納経はここで受け付けている。

朱鷺書房蔵

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