当該画面は、霊験譚中の特定の場面を絵画化したものではなく、話の内容を象徴的に描いたものであると考えられる。
 画面登場人物は三者。画面右方、髪を逆立てて、右手で紅葉とおぼしき枝を振り上げる女性と、女性に抱えられた乳児、そして画面左方、女性から逃れようとする旅装の男性である。
 鬼のような形相をした女性は、霊験譚の表題に掲げられる奥野の鬼女である。彼女の目許は、青く着色されている。西国第二十九番、秩父第二番にも鬼女の姿が見られるが、口を開け目を見開く恐ろしげな形相ながらも、当該画面に現れる鬼女には角や鉤爪という、一般的な鬼の要素は見受けられない。口許には御歯黒を付けた歯が覗くが、これはもともと彼女が普通の既婚女性であったことを示唆している。
 彼女が胸をはだけて抱え込む乳児は、山深くで産まれた鬼女の娘である。画面左方の男性に関しては、霊験譚の記述による指摘はない。風呂敷包みを結わえ、手甲・脚絆を着け合羽を羽織る男性は、丁度ここを通り掛かって鬼女と遭遇したのであろう。彼は鬼女の足許に笠を取り落とし、画面左側へ逃げようとする姿で現されている。
 画面に流れている水の流れは、霊験譚の記述に従うならば、鬼女が投げ込まれた荒川を、また鬼女の足許の岩場は、隠れ棲んだ山を暗示するものだと考えられる。
 当該画面は、後日菩提を弔うこととなる娘が未だ乳児の姿で抱かれていることから、霊験を受ける前段階、すなわち導入部分を絵画化したものと推測することができる。
廣重美術館蔵

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