豊嶋権守(としまごんのかミ)の娘(むすめ)
 当国(たうごく)豊嶋郡(としまごほり)の住人(ぢやうにん)豊島権守(としまごんのかミ)一人の娘(むすめ)を同郡(どうぐん)某(なにがし)に嫁(か)せしに或時(あるとき)彼(かの)娘(むすめ)父(ちゝ)が里(さと)におもむかんとて舩(ふね)に乗(のり)けるが犀ヶ淵(さいがふち)にて悪魚(あくぎよ)に見込(ミこま)れて終(つひ)に水底(ミなそこ)に飛入(とびい)りしが一人の美女(びぢよ)ふしぎにも其(その)娘(むすめ)を助(たす)けて舟(ふね)に乗(の)せて送(おく)りけれバ従者(じうしや)とも夢(ゆめ)の如(ごと)くによろこびて何(いづ)れの者(もの)と聞(きゝ)けれバ吾(われ)ハ石舩山(せんざん)の者(もの)なり姫(ひめ)が父(ちゝ)をはじめ主従(しゆう/\)よく観音(くわんおん)を信(しん)ずるがゆへ危難(きなん)を助(たす)けたりと言(いひ)つゝ失(うせ)ぬとのふしぎを権守(ごんのかミ)に告(つげ)しかバ随喜(ずいき)の涙(なミだ)をながして利益(りやく)を尊(たつと)び其(その)恩謝(おんしや)として諸所(しよ/\)を順礼(じゆんれい)して当山(たうざん)に来(きた)りて御帳(ミちやう)をかゝげて拝(はい)すれバふしぎや娘(むすめ)が冠(かむ)りたる笠(かさ)を着(き)玉ひてれい/\と立(たゝ)せ給へバ感涙(かんるい)を尽(つく)して三日三夜(ミつかミや)に般若心経(はんにやしんぎやう)を書写(しよしや)して供養(くやう)をし奉(たてまつ)りしとぞ誠(まこと)に或漂流巨海(わくへうりうこかい)龍魚諸鬼難(りうぎよしよきなん)念彼観音力(ねんびくわんおんりき)波浪不能没(はらうふのうもつ)の経文(きやうもん)有(あり)がたきかな今(いま)も本尊(ほんぞん)ハ天冠(てんくわん)のうへに笠(かさ)を着(き)て舟(ふね)に棹(さを)さし給ふ尊像(そんぞう)なり

廣重美術館蔵

(C) 2001 International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, Japan. All rights reserved