奥野(おくの)の鬼女(きぢよ)
 往昔(むかし)久那(くな)の岩洞(いハや)に鬼(おに)こもれりとてさらに往来(ゆきゝ)するものなき来由(らいゆ)ハ奥野(おくの)といふ一処にすむ女房(にようばう)大悪(だいあく)のものなれバ懐胎(くわいたい)の身(ミ)にて一類(いちるゐ)に見放(ミはな)されて家(いへ)を出(いだ)され此所(このところ)の麓(ふもと)に住(すミ)けるが猶(なほ)悪計(あくけい)のことありて荒川(あらかハ)へ打込(うちこま)れしがからき命(いのち)を助(たすか)りて又(また)この山(やま)ふかくに忍(しの)び居(ゐ)て一女(いちぢよ)を産(うむ)この娘(むすめ)十五歳(さい)の時(とき)宿業(しゆくがう)尽(つき)しにや身(ミ)罷(まか)りけれバ娘(むすめ)ハ殊更(ことさら)歎(なげ)きにしづミし所(ところ)へ弱(なよや)かなる女人(によにん)手(て)に花(はな)を持(もち)ていふやう汝(なんぢ)が母(はゝ)ハ後世(ごせ)地獄(ぢごく)に堕(だ)せり夫(それ)を助(たす)けたくハ観世音(くわんぜおん)の御名(ミな)を唱(とな)へて祈念(きねん)せよと教(をし)ゆまた象殿(ぞうどの)の神(かミ)あらハれて告(つげ)給ふにハ今(いま)一人(ひとり)の旅僧(たびそう)爰(こゝ)に来(きた)れバそれに値偶(ちぐう)して里人(さとびと)を語(かた)らひ此地(このち)に観音(くわんおん)の堂(だう)を建(たて)よとありしに果(はた)して一人(ひとり)の旅僧(たびそう)来(きた)れバ始終(しじう)を語(かた)りて頼(たのミ)けれバ僧(そう)ハ娘をつれて里(さと)へ出しづ /\と語(かた)りて勧化(かんけ)すれハその鬼女(きぢよ)の一類(いちるゐ)および里人(さとびと)も力(ちから)を合(あハ)せて間(ま)もなく堂舎(だうしや)とゝのひけれバ僧(そう)の持(もち)し観音(くわんおん)を本尊(ほんぞん)とし又(また)十王(じうわう)の像(ぞう)を作(つく)りて鬼女(きぢよ)の菩提(ぼだい)を弔(とふら)ひける地(れいち)なり
 

廣重美術館蔵

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