讃州(さんしう)の人(ひと)化犬(いぬとなる)
 当山(たうざん)むかしハ此(この)奥(おく)にありて花台山(くわんたいざん)といひしが延喜(えんぎ)十五年疱瘡(ほうさう)流行(はやり)し時(とき)観音(くわんおん)の託宣(たくせん)によつて当所(たうしよ)に移(うつ)しけれバ童子(わらハ)等(たち)が疱瘡(もかさ)疾(とく)に愈(いえ)その後(のち)も童子(わらハ)の病(やま)ひを祈(いの)るに愈(いえ)ざる者(もの)なきゆへ童子堂(わらハだう)といへり昔(むかし)讃州(さんしう)に有徳(うとく)の農家(のうか)ありしが慳貪(けんどん)吝嗇(りんしよく)なれバ或時(あるとき)飢(うへ)たる行脚(あんぎや)の僧(そう)来りて食(しよく)を乞(こへ)ども少(すこ)しも施(ほどこ)さず糠(ぬか)あるを見(ミ)てこれを乞(こへ)どもあたへず余義(よぎ)なくもつて一升(ひとます)をもとめ門前(もんぜん)の犬(いぬ)の器(わん)に入(い)れて犬(いぬ)を呼(よび)けれバ此家(このや)の寵愛(ちやうあい)の忰(せがれ)犬(いぬ)のごとき声(こゑ)を発(はつ)して走(はし)り来(きた)りてこれを喰(くら)ふうちにさながら犬(いぬ)のごとき面(おもて)となる父母(ふぼ)おどろきて僧(そう)を拝(はい)して罪(つミ)を悔(くゆる)がゆへ僧(そう)その因果(いんぐわ)を示(しめ)して此(この)童子堂(わらハだう)に祈(いの)れとおしへて去(さり)ぬこれによつてその父(ちゝ)この犬(いぬ)を牽(ひき)て四国(しこく)西国(さいこく)坂東(はんどう)の場(れいぢやう)を順拝(じゆんはい)して秩父(ちゝぶ)に至(いた)り当寺(たうじ)に詣(まうで)て現罰(げんばつ)を祈念(きねん)しけれハ三七日を経(へ)て元(もと)の身(ミ)となりしハ不測(ふしぎ)の験(れいげん)なり
 

廣重美術館蔵

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