甲斐(かひ)の商人(あきんど)
 往昔(むかし)甲斐(かひ)の国(くに)の商人(あきんと)某(なにがし)といふ者(もの)この所(ところ)を通路(つうろ)しける時(とき)山賊(さんぞく)とも五六人立出(たちいで)て着類(きるゐ)を剥(はぎ)しうへ後(のち)の禍(わざハひ)なからん為(ため)に引捕(ひきと)らへて切殺(きりころ)さんとしけるゆへ商人(あきんど)ハ迚(とて)も叶(かな)ハぬ命(いのち)と唯(たゞ)一信(いつしん)に南無観世音(なむくわんぜおん)と唱(とな)へしかバ肌(はだ)の守(まもり)のうちより光明(くわうめう)電(いなづま)のごとく輝(かゞや)きければ山賊(さんぞく)ども眼(め)を射(い)られて開(ひら)くことあたハず是(これ)によつて立所(たちどころ)に盗(ぬす)ミ取(とつ)たるものを返(かへ)して侘言(わびこと)しけれバ眼(め)のひらきけるゆへ三四人ハ逃去(にげさり)しが頭人(とうにん)ハ仏罰(ぶつばち)に恐れてたゞちに遯世(とんせい)して茲(こゝ)に住(すミ)けるうちかの商人(あきんど)古郷(ふるさと)より聖徳太子(しやうとくたいし)の作(つく)り玉ふ観音(くわんおん)の像(ぞう)を持来(もちきた)れバ共(とも)に力(ちから)を合(あハ)せて当所(たうしよ)に堂(だう)を建(たて)り今(いま)の本尊(ほんぞん)ハ則(すなハち)これなり
 

廣重美術館蔵

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