禅客(ぜんかく)
 当山(たうざん)の本尊(ほんぞん)は行基(ぎやうぎ)の作(さく)にて往昔(むかし)纔(わづか)の草庵(さうあん)に安置(あんち)しけるが山聳(やまそび)へ谷深(たにふか)きがゆへ鳥獣(とりけもの)の外(ほか)は春秋(はるあき)の彼岸(ひがん)にも来(きた)る者(もの)もなかりしが爰(こゝ)に一人の禅客(ぜんかく)ありて六年(むとせ)が間(あひだ)草庵(さうあん)に禅定(ぜんでう)して有無(うむ)の工夫(くふう)をいたしける処(ところ)ある日(ひ)誰(たれ)とも知(し)らず一首(いつしゆ)の和哥(わか)を詠(えい)ずその歌(うた)に
 はつ秋(あき)に風(かぜ)吹(ふき)むすぶ荻(おぎ)の堂(だう)
 宿仮(やど)(かり)の世(よ)の夢(ゆめ)ぞ覚(さめ)ける禅客(ぜんかく)この一首(いつしゆ)を聞(きい)て忽(たちま)ち多年(たねん)工夫(くふう)せし無常(むじやう)迅速(じんそく)の理(り)をさとりその声(こゑ)の処(ところ)を尋(たづ)ね見れバ一株(ひとかぶ)の荻(おぎ)の下(もと)にその詠歌(えいか)の短冊(たんざく)あるによつてこれぞ誠(まこと)に観音(くわんおん)の感(れいかん)ならんとそこに小堂(ちいさきだう)を営(いとな)むがゆへ荻(おぎ)の堂(だう)といへり後人(のちのひと)種々(しゆじゆ)の験(れいげん)を蒙(かうむ)りたるがゆへ今(いま)の堂舎(だうしや)を建立(こんりう)して繁昌(はんじやう)の地(ち)とハなれり
 

廣重美術館蔵

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