荒木丹下(あらきたんげ)
 此所(このところ)に住(すむ)荒木丹下(あらきたんげ)といふ者(もの)ハ<ママ>貪邪智因果(けんどんじやちいんぐわ)の道理(どうり)を知(し)らねバ寡孤独(くわんくわこどく)を恵(めぐ)まづたゞ悪行(あくぎやう)をのみ業(わざ)とせしが一時(あるとき)一人(ひとり)の順礼(じゆんれい)門前(もんぜん)に彳(たゝず)ミて手(て)のうちを乞(こひ)けれバ姦(かしまし)や予(わが)晝寐(らくね)を妨(さまた)げしいで手(て)のうちを報謝(ほうしや)せんと立出(たちいで)順礼(じゆんれい)の柄杓(ひしやく)を奪(うば)ひ取(とつ)て吾手(わがて)のうちハ是(これ)こふぞと打擲(うちたゝ)けど順礼(じゆんれい)ハいかるいろもなく施(ほどこ)しなくバ言葉(ことば)にても済(すむ)べきに手(て)にも足(たら)ざる者(もの)をかく打擲(うちたゝ)くとハ情(なさけ)なしといふに丹下(たんげ)いよ/\怒(いか)りてそも我国(わがくに)ハ神国(しんこく)にて一粒(いちりう)の米(こめ)だに神(かミ)の宝(たから)なるを仏徒(ぶつと)の者(もの)にあに施(ほどこ)さんやとく/\立去(たちさ)れと攻(せむ)れバ正(まさ)なきことを言(のたまふ)な人(ひと)ハ神(かミ)の性(ミたまもの)なれバ吾(われ)もそのうちなるを左程(さほど)神(かミ)を尊(たうたむ)もの吾(われ)を打擲(ちやうちやく)するいハれなし天子(てんし)ハ民(たミ)の父母(ふぼ)にハ有(あら)ずや施(ほどこ)しうけざれバ我(われ)飢死(うへじに)せん仏(ほとけ)ハ自他(じた)平等(べうどう)と説(とき)給へりと言(いひ)夫(それ)よりいち/\利(り)を詰(つめ)けれバ丹下(たんげ)一言(いちごん)もなく発起(ほつき)して此(この)観世音(くわんぜおん)を深(ふか)く信(しん)じて大善人(だいぜんにん)となりたるハ不思議(ふしぎ)の験(れいげん)なり
 

廣重美術館蔵

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