札立峠
 天長元年(824)、東国は大干魃で、五穀はもちろん、人畜、草木も助かる方法として、人々は手を尽くしたが、雨は降らなかった。当山に不思議な僧が一人訪れ、土地の人々に向かって雨を祈るので「甘露法雨」と書いた札を立て、観音を信心せよと諭した。人々は教えのとおりに祈ると、三日目に背丈が六尺あまりある法師が蓑笠を着て山の上の岩に笈をおろし、杖を持って岩を突くと、水が湧き出て滝のごとく流れた。里人達は喜んでこれを飲み、かの法師を敬うと、法師は、「私は六十余州を巡ってこの霊地に至った。この場を百番順礼の結願所とするので、今ここに西国をかたどり阿弥陀をおき、板東をかたどって東方の薬師をおき、この観音をおいて、即ち百番となる。私の笈摺を納めた後、必ず熊野権現をはじめ、多くの権現が来るので、信心を怠ってはいけない」と告げ、雨が降るより早くに姿を消してしまわれた。間もなく法雨が降り、衆生の命が助かったので、人々はますます尊んだ。札立峠の名はここに始まるということである。

廣重美術館蔵

(C) 2001 International Research Center for Japanese Studies, Kyoto, Japan. All rights reserved