武田信玄の家臣 石原宮内
 当山の霊験が数多くある中に、武田信玄の家臣山形三郎兵衛の組頭である石原宮内は、常に観音を信じ、兵法にも詳しい者であったが、時田合戦の時、軍陣の配置指揮を間違え、進退が悪くなったので、信玄は非常に怒って、すぐに兵を立て直して、最終的に勝利をおさめた。後日、宮内が「私の陣備えでも負けることはなかったのに、信玄公は短気である」と人に語っていたのが信玄の耳に入り、たいそう腹を立て、「兵法の準備は、たとえ陳平・張良ですらも間違うことはあるので咎めもしないのに、意味のない言葉で、主人を中傷するなどとは不届き者である」と、死罪を命じた。その日は既に十七日であったので、宮内は一心に観音を信じて、翌日が縁日なのでその日に死ぬのがせめてもの救いであると覚悟していた。その夜、信玄の夢に十歳ぐらいの小坊主が現れて、「私は今宮の者です。宮内をどうか助けてください」というので、仏のお告げと思い、急いで山形に命じて助けたばかりでなく、側近にとりたてて褒美を与えた。実に有り難い霊験である。

廣重美術館蔵

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