火災の利益
 当所は日本武尊が東国を征された時、御旗を立てられた所であるから、旗の下というのであるが、今は言い誤って「はけの下」という。当寺が建立される以前より、当所は仏意に叶う土地であり、常に紫雲がたなびき、天から曼陀羅華を降らせて、音楽の響きが絶えることのない霊場であるとかいうことである。
 さて、霊験が数多くあるなかで、特に有り難いのは、この大宮町の高野氏の娘が江戸の中橋の某に嫁ぎ、明暦丁酉の年(1657)正月十八日の大火災の時に九死に一生を得たことである。この事は、その頃の版刊された『靱猿』という冊子に詳しく書かれているのでここでは記さない。

廣重美術館蔵

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