花薗左衛門督長臣某
 承平(朱雀天皇朝・931〜938)の頃、当郡の末野の郷、花薗の城主である某左衛門督の長臣某は、放逸邪見な者であったが、相馬の将門の謀逆に組して天慶三年(940)、官軍に攻められて山林に潜んでいたが、ついに亡くなった。ここに一人の僧が当寺の観音を携えて、その辺りに兵乱を避けていたので、長臣の亡骸を土に埋めた。その後、世は平穏となり、逃げ去っていたその土地の住人等、皆々が家に帰ってきたので、この長臣の妻子ももとの家に戻り、夫の行方を捜したところ、この僧が長臣が亡くなったことを語った。妻子は深く悲しみ、その塚に時々お参りするようになり、そのうちに家では牛が子牛を産んだ。この子牛はこの妻子を慕うので、ある日、長臣の塚へ牽き連れてゆくと、子牛は塚の前で跪いて涙を流し、人の言葉で「私はあなたの夫です。自分の悪心の報いにより、このような牛になってしまいました。どうか母子ともに出家をし、この観音を供養して下さい。そうすれば私は必ず涅槃に至ることができます」と言って直ぐに死んだ。このことにより、この妻子は即座に髪をおろして尼となり、夫の悪報を観音に祈り、ついに夫は畜生を転じて聖衆に生まれることができたことは、不思議な霊験である。

廣重美術館蔵

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