第三十番平野山高蔵寺(高倉観音)
千葉県木更津市矢那1245

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=聖観音
開山=徳義上人
開創年代=用明天皇の御代


 かつて鎌足村高倉と呼ばれた集落を抜けた山に、高蔵寺がある。杉などの巨木が林立しており、歴史の古さを思わせる寺である。
 仁王門を入った正面に、大永六年(1526)藤原時重が建立した本堂が建っている。床柱が八十八本あって、床の高さは1.8メートル。床下を人が立って歩くことができ、戦時中には軍馬の厩舎に利用されていたという。一本の大木から造ったため柱に大小があるとされ、造り終わりのころには「木足らず」となり、これが木更津の地名の由来ともいわれている。
 飛鳥時代に、徳義上人が観音の宝号を一日に数千遍唱える修行を、当地でおこなっていた。ある日、激しく雷鳴が轟き、一人の老翁が現れた。そして、「永く国土を守護し、衆生を済度するため、観音飛来したもう」と告げ、阿薩婆の古木を指さすと、老翁は忽然と消えてしまった。上人が梢を見ると、四寸の観音が光り輝いていたので、里人とともに堂宇を建立した。後に行基菩薩が巡錫して、一丈あまりの観音像を作り、徳義上人が感得した尊像を頭部に納めたとされている。
 矢那郷の猪長官は、四十歳になっても子供ができないため、当寺に百日間籠もって祈願したところ、一女を授けられたので、子与観と名づけた。子与観はやさしい女性に成長したが、器量がよくなかったため、二十歳になっても良縁に恵まれなかった。そこで再び当寺に祈願すると、「鹿島へ行きて日天を拝せよ」とのお告げがあり、そのとおりにして結婚。生まれた男子が、後の藤原鎌足だという。この因縁によって、白雉年間(650〜654)鎌足が伽藍を建立した。

平幡良雄氏蔵

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