第二十九番海上山千葉寺
千葉市中央区千葉寺町161

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=十一面観音
開山=行基菩薩
開創年代=和銅二年(709)


 当寺は千葉という地名の発祥の地であり、奈良時代からの歴史を誇っている。
 『千葉寺縁起』によると、行基菩薩が当地に来た時、池田の郷に金色に輝く池があり、栴檀の香りが漂った。さらに池の中央に雲が集まり、「三界六道、皆令解脱」という声が聞こえたので、不思議に思っていると、風が吹いて雲が晴れ、千葉の青蓮華が生じて、十一面観音が説法している姿を感得した。歓喜した行基は、その姿を模して丈六の尊像を彫刻。青蓮華を都に送ると、聖武天皇から「三界六道青蓮千葉寺」の勅額を賜った。
 十八間四面の観音堂が建立されて繁栄するが、永暦元年(1160)落雷のため、諸堂および霊宝を焼失した。本尊のみは西の林に飛び移り、桜の枝に難を逃れたので、有縁の地として現在地に移転したと伝えられる。
 しかし、奈良時代後期の特徴を示す布目瓦などが境内から出土しており、創建当初から移転はなかったと考えられている。また、近年の発掘調査により、金堂を中心として、南大門、東大門、西大門、講堂などの存在が確認された。
 中世になると、下総一帯を支配した千葉氏の祈願所として栄えた。源頼朝は、伊豆石橋山の戦いに敗れて安房に逃れ、再挙する際に当寺に祈願。後に頼朝は千葉常胤に命じて、運慶作の愛染明王を寄進している。
 天保十二年(1841)再建の仁王門を入ると、大銀杏が影を落とす境内に、近年に建立された本堂がある。文政年間(1818〜30)に建立された大師堂は、周辺の新四国を巡る千葉寺十善講の中心的存在として、篤く信仰されている。

平幡良雄氏蔵

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