第二十六番南明山清瀧寺(清瀧観音)
茨城県新治郡新治村大字小野1151

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=聖観音
開山=行基菩薩
開創年代=神亀五年(728)


 神代の昔、筑波山に続く小野山で、筑波二柱の神が諸神を率いて遊んだ。その時、喉が渇いたが、周辺の土地は乾燥しており、水を求めることはできない。そこで伊弉諾命が、天の鉾で山を突くと、地は裂けて清水が湧き出で、南北に流れた。神々はこれを喜んで、雌神は滝口の北に立ち、雄神は滝の南に立ったとされている。
 時は流れて神亀五年(728)、行基菩薩がこの滝で日想観をおこなうと、滝のなかに観音の姿を感得。丈六の観音像を作り、山頂の滝口に安置して、南の滝が清明であるところから、南明山清瀧寺と号した。
 以来、大悲水と呼ばれて、飲んだり浴したりすると、病が平癒したといわれる。ところが、大同年間(806〜810)になって滝口が塞がり、水は一滴も出なくなってしまった。これは筑波権現がこの水を移して、水戸の守山神社に与えたためという。
 後に、花山法皇が当寺に巡錫。山の上では参拝に不便というところから、山麓に移したと伝えられる。
 鎌倉時代には、八田知家が保護して栄えたが、永禄から元亀年間(1558〜73)に、兵火のため焼失した。元禄年間(1688〜1701)に本堂が再建され、ふたたび隆盛するものの、明治以降は急速に寺運は衰え、無住の時代が続いた。
 昭和四十四年(1969)には、不審火によって本堂を焼失。天保年間(1830〜44)に再建された仁王門を残して、廃寺同然となった。しかし、地元の活動によって昭和五十二年(1977)に再建され、二年後には新しい本尊も入仏されている。

平幡良雄氏蔵

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