第二十五番筑波山大御堂(大御堂観音)
茨城県つくば市筑波748

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=千手観音
開山=徳一法師
開創年代=延暦元年(782)


 明治の廃仏毀釈、神仏分離は各地の寺院を衰微させたが、筑波山の被害も甚大なものだった。本堂は破却され、仁王門は筑波山神社の随神門になった。大御堂は社地の東に移転して、昭和五年(1930)に仮堂のみ再建されたが、昭和十三年(1938)の山津波で倒壊。現在の建物は、昭和三十六年(1961)民家を移したものである。それでも本尊は無事で、間近に拝することができる。
 伊弉諾尊と伊弉冉尊が国造りをした時、東方で最初にできた山が筑波山とされる。この山には絶頂が二つあり、西の峰には伊弉諾命が鎮座したので男体権現、東の峰には伊弉冉命が鎮座したので女体権現と称した。また、日の神が父母の二神を慰めるため、山頂で琴(筑)を弾いたところ、海の波が山まで着いたので、筑波山と号したという。
 延暦元年(782)徳一法師が当山に登ると、一人の天童が現れ、月輪洞と称する岩窟の場所を示した。そこで法師は、岩窟の近くに庵を結んでいると、麓の巫女が神憑りとなって、山の故事を法師に語った。このことを都に奏上し、桓武天皇の勅によって、中禅寺知足院が創建された。その後、百三十歳となった法師は、岩窟で定に入ったという。
 弘仁年間(810〜824)になって弘法大師が筑波山に登り、徳一法師の岩窟の前に立つと、なかから声がして、山の故事を説き示した。大師が山を結界して邪神を退けると、巫女に神託が下って「国家のために正法明の像を造り、この補陀落の主尊を立てよ」と告げた。そこで大師は、千手観音の尊像を刻み、二神の本地とした。これが現在の大御堂の本尊といわれている。

平幡良雄氏蔵

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