第二十四番雨引山楽法寺(雨引観音)
茨城県真壁郡大和村本木1

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=延命観音
開山=法輪独守居士
開創年代=用明天皇二年(587)


 室町時代に建立された薬医門形式の黒門を入り、山道の参道を進むと、享保年間(1716〜36)再建の仁王門に達する。続いて「宿かり椎」があるが、応永三年(1396)の火災の折、本尊みずからこの木に難を逃れたという。また、開山法輪独守居士が龍に乗って昇天した「龍杉」、観音の袖からしたたり落ちたと伝えられる「御休み沢の霊泉」など、二木一水の霊異が語られている。
 石段を登り切ったところにある本堂に安置された本尊は、八臂の十一面観音という珍しい姿をしており、延命観音と呼ばれている。像高156センチ、関東の木彫仏のなかでも古く、平安時代中期までさかのぼるものであり、国の重要文化財に指定されている。
 縁起によると、中国から渡来した法輪独守居士が当地に草庵を建立し、請来した延命観音を祀ったのが始まりとされる。居士が観音の御名を唱えると、虚空から「善哉」という声が聞こえたので、山号を天彦山としたといわれている。
 光明皇后は御産の折、当寺に安産祈願をして、『法華経』を奉納。その効があったので、三重塔を寄進した。以来、安産祈願の観音として知られるようになった。
 また、弘仁十二年(821)大旱魃に見舞われた時、嵯峨天皇は『法華経』を奉納して祈願すると、三日にわたって雨が降ったという。これより天彦山の山号を、雨引山に改めたとされる。
 応永三年(1396)兵火のため全山が焼失したが、鎮守のマタラ神が住職を励まして、七日七夜で再建させた。その故事により、毎年四月にマタラ神祭がおこなわれている。

平幡良雄氏蔵

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