第二十二番妙福山佐竹寺(佐竹観音)
茨城県常陸太田市天神林町2404

宗派=真言宗豊山派
札所本尊=十一面観音
開山=元密上人
開創年代=寛和元年(985)


 花山法皇が坂東巡礼の途中、八溝山から下って当地まで来た時に、多くの神々が現れて、「昔、日本武尊が東征の折、この地に天神七代の霊を祀って、東国の安寧を祈願した。しかし、里人はそのことを忘れ、社頭は鳥獣のすみかとなっている。ぜひとも天神のため、この地に寺院を建立してほしい」と告げた。さっそく法皇は、襟につけていた聖徳太子作の十一面観音の小像を、同行の元密上人に与えた。上人は新たに立像を作り、聖徳太子作の尊像を胸の間に納めて、堂宇に安置したとされている。
 それから二百五十年ほど経た保延六年(1140)、観賢上人の教えによって、この本尊に帰依した佐竹昌義は、当寺に寺領を寄進して再興し、代々の祈願寺に定めた。当寺で昌義が、長さ二十尋に一節しかない珍しい竹を発見。これこそ出世の前兆だと感じ、自らの姓を佐竹に改めたという。現在も寺宝として、90センチほどの一節の竹が伝わっている。
 当初は洞崎峰の観音山にあったが、天文十二年(1543)の兵火で焼失し、同十五年(1546)佐竹義昭が佐竹城の鬼門除けとして現在地に再建した。以来、北向観音と呼ばれている。
 仁王門は昭和十五年(1940)の再建だが、納められている仁王像は宝永年間(1704〜11)の作である。門の二階には山号を記した扁額が掛けられ、その上には、五本骨に日の丸絵紋のついた佐竹氏の陣扇が掲げられている。国の重要文化財に指定された本堂は、萱葺きの屋根に裳階がついており、豪壮な桃山建築の様式美を備えている。

平幡良雄氏蔵

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