第十八番補陀落山中禅寺(立木観音)
栃木県日光市中禅寺歌ケ浜2578

宗派=天台宗
札所本尊=千手観音
開山=勝道上人
開創年代=延暦三年(784)


 日光という地名は二荒を語源としており、二荒山とは男体山のことである。二荒はフタラと読み、音読みでニコウ、これに日光の文字を当てた。このフタラ山こそ、観音の浄土補陀落山に由来している。
 出流山を開いた勝道上人は、男体山の山中に観音の浄土があると信じて、天平神護二年(766)日光の地に四本龍寺を建立。神護景雲元年(767)男体山の登頂に挑戦し、中腹から眼下に中禅寺湖を発見するが、山頂を極めることはできなかった。湖畔に草庵を建てて、天応元年(781)再度挑むが失敗。延暦元年(782)三度目の挑戦で、ついに絶頂に達することができた。
 延暦三年(784)の春、上人が小舟で湖を周遊していた時に、湖面に千手観音を感得した。桂の巨木を選んで、その姿を立木のまま刻んだのが、現在の本尊とされている。像高535センチの巨像で、平安時代後期の作と推定され、国指定重要文化財である。本尊の周囲には、源頼朝が奥州平定の折に寄進したとされる四天王を安置している。
 日光山発祥の地ということで、江戸時代には幕府の保護を受けて隆盛する。また、女人禁制の霊場とされたため、女性は日光と中禅寺の間にある清滝寺を女人堂として、札を納めて遥拝していた。
 神仏習合の霊地であり、男体山霊を祀った中宮祠とともにあったが、明治の神仏分離で分断された。さらに明治三十五年(1902)の山津波によって流されたが、本尊は損傷なく湖上に浮かんでいた。そこで、現在の歌ヶ浜に移して復興。仁王門、観音堂、五大堂など、湖を目前に朱塗りの諸堂が建っている。

平幡良雄氏蔵

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