第十五番白岩山長谷寺(白岩観音)
群馬県群馬郡榛名町白岩448

宗派=金峯山修験本宗
札所本尊=十一面観音
開山=役行者
開創年代=朱鳥元年(686)


 札所の番付どおりに行くと、横浜の弘明寺から高崎に近い長谷寺まで、一気に北上することになる。
 役行者が伊豆大島に流されていた朱鳥元年(686)、夜になると海を渡り、富士山に登って修行していた。ある日、多くの天狗が現れて白岩へ導いたので、当地で礼拝していると十一面観音を感得、さらに二十一日後には不動明王と八大童子が出現したという。
 時を経て、高崎領の郷士高崎氏は、日ごろから信仰心が篤かったが、四十二歳の厄年の難を恐れていた。ある夜、行脚の僧が一夜の宿を求めたので歓待したところ、役行者の旧跡である白岩にあった古い柳で十一面観音を彫刻し、高崎氏に与えた。行脚の僧が去った後に蓮台の底を見ると、「沙門行基」と記されていたと伝えられる。
 さらに、延暦から大同年間(782〜810)には、伝教大師や弘法大師も巡錫し、仁寿元年(851)に在原業平が堂宇を修築したという。後に、源義家や新田義貞などの武将が篤く信仰しており、修験道の中心道場として栄えた。特に、新田義貞の挙兵にあたっては、当山の修験者が関東一円に檄を飛ばしたとされる。
 天文元年(1532)上杉憲政が伽藍を整備するが、永禄六年(1563)武田信玄の箕輪城攻略の兵火で焼失、武田勝頼が世無道上人に命じて天正八年(1580)現在の本堂を再建した。
 室町時代に建立された山門を入り、唐破風の向拝が見事な本堂に至る。本尊十一面観音は像高187.5センチ、平安時代後期の作で、国の重要文化財に指定されている。

平幡良雄氏蔵

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